2001年にHP「環境と金融」を開設してから、5周年になった。これまでの環境関連の活動の軌跡を振り返ってみようと思う。
環境関連のNPO「ネットワーク地球村」の高木善之さんの講演会を初めて聴いたのは1995年で、すぐに会員になった。しかし、個人的にできることの範囲を超えて何かをするという発想はその時にはなかった。
環境問題の解決のために「金融」が大きな役割を担い得る、また、社会を変えていくためには「金融」を動かさなければならないということを思い立ったのは、1999年の春だった。きっかけとなったのは環境マネジメントシステム「ISO14001」の審査員研修に行って、様々な業種の人たちと話をしたことだった。産業界は環境問題に懸命に取り組んでいるのに、銀行はそれを評価してくれない。それを聴いて、銀行は変わらなければならないという思いを強く持った。とりわけ巨額の資金を扱う都市銀行の企業行動を変えることは、日本の社会全体の変革を強力にサポートし得るものであるし、何とかしてそういう方向へ動かすことができないものかと思案した。
そうはいっても巨大な組織の中で、末端の存在である自分に直接できることは何もなく、経営に影響力のある人を動かすしかないと思った。経営企画セクションの社会貢献事業担当の人に分厚い資料のファイルを持って直談判に行き、環境問題に取り組む部門を銀行の中に作ることの必要性を説いた。今、思えば、城外にいる身分の低い家来が単身で城内に乗り込み、重臣に直言したようなものであるから、最初から相手にされなくともおかしくないし、無礼者と切って棄てられても不思議ではなかった。しかし、一応、ひと通りの話は聴いてもらえ、検討してもらえたようであるが、不幸なことに銀行自体が経営危機のさなかにあり、それから程なくして他行との統合という話が持ち上がって、環境専門部署の設置は立ち消えになった。
それとは別に、日経エコロジーや日経ECO21(現在は休刊)に「環境と金融」の特集記事の企画を提案したら、日経エコロジーはなしのつぶてだったが、日経ECO21の編集部から連絡が入り、編集長・副編集長・ライターさんの3人と食事を取りながら、企画の内容や編集方針、取材に行ってもらいたい先などについて話をした。結果的に「金融機関の環境への取り組み」を特集する記事が8ページ掲載された。都市銀行の環境への取り組み比較一覧表も載ったが、残念ながら反響は少なかった。まだ、1999年当時は「環境」と「金融」を結びつけて考えられる人がごくわずかしかいなかったのだろう。
日経エコロジーが「グリーン金融」の特集を初めて掲載したのは2005年12月号だから、私が企画を提案してから実に6年以上になる。時代が変わるまでには長い時間が必要だった。
しかし、同様の活動は A SEED JAPAN の「エコ貯金ナビ」に(直接接点はなかったが)受け継がれており、月刊地球環境2006年9月号の「環境・CSRと”金融力”」の特集にも紹介されている。
ASJ理事の土谷和之さん はマイミクであり、ASJやSIF-Jのセミナーでお会いしている。彼のような若者が同じ志を持つ者として活動してくれていることはたいへんうれしい。
その後、社内では非公式の掲示板(若手行員が運営管理者)が開設され、銀行にとってポジティブな意見は何でも自由に投稿してください、というアナウンンスがあったので、「銀行は環境金融へ積極的に乗り出すべき」という趣旨の意見と事例を続けて投稿したら、何と人事部から上司に電話が入った。内容は「彼に仕事を与えていないんですか?」というもので、要は「自分の仕事と関係ないことを投稿するほどおまえは暇なのか」ということだった。組織の上層部のあまりの無理解、ネガティブな反応と、上司にも迷惑をかけたことから、以後、銀行内での活動は自粛し、組織人という立場を離れて、「個人的な活動」として行動することにした。
2000年夏にはJEMASの個人会員となり、環境監査研究会等への参加を通じて、数々の環境関連団体に携わっておられる後藤敏彦さんやトーマツ環境品質研究所の間瀬美鶴子さんと出会い、その後、後藤さんとはSIF-Jでも度々お会いしている。また、SIF-Jを通じて、大和総研の河口真理子さん、FUTURE500理事長/GRI日本フォーラム会長の木内孝さんともひざ詰めで話をさせていただいた。
先の日経ECO21で取材を頼んだ先のひとつがエコファンドを世に送り出したグッドバンカー社だったが、2001年の春にお誘いがあり、オフィスを訪問させていただいた。行ってみると軽食まで用意して迎えてくださって、筑紫みずえ社長以下、社員全員の皆さんと意見交換をすることができ、有意義な時間を持つことができた。「環境と金融」についての自分の考えと銀行内の意識のギャップについて率直に語った。
2001年の6月には個人会員になっていたJEMASの「環境マネジメントセミナー」のお手伝いで受付をしたが、その時に知り合ったのが当時、財務省主計局・環境省担当をされていた坂本忠弘さんで、自分の考えを簡単に伝えたことに興味を持ってもらえ、その後、メールを何度かちょうだいし、環境省で勉強会をするので来ませんか、というお誘いをいただいた。ざっくばらんな勉強会だから、気軽に参加してくださいという話だったので了解したが、シックスセンスが働き「自分一人で乗り込まない方がいい」と頭に浮かんだので、当時、日経エコロジーに「金融」の切り口から記事を書いておられた 東京三菱証券(現・三菱UFJ証券)の波多野順治さん (クリーンエネルギーファイナンス委員会長)をお誘いした。来てくださるかどうか全く見込みもないまま、ダメ元でお願いしたら、快く受けてくださった。
2001年7月に霞ヶ関の環境省の庁舎に行き、指定された場所へ行ってみると坂本さんが出迎えてくださり、波多野さんとも合流できた。会議室へ通されて程なくして、総合政策局の審議役・課長・課長補佐クラスの方が8名もやって来られ、さすがにただの勉強会ではないことを察した。
実は当時、環境省内でも「金融のグリーン化」の検討が始まっており、非公式ながら金融業界にいて環境マインドの高い人の話を聴いてみようということだった。結局、8割方の質問については波多野さんが答えてくださり、伝えたいことが的確に伝わってよかった。波多野さんとは勉強会の後、一緒に食事に行き、ざっくばらんに話をさせていただいた。
それから5年後の、2006年8月に「環境と金融に関するシンポジウム」が開催されたが、金融庁や証券業界はともかくとして、環境省の中では「環境と金融」についての理解が浸透しているということを小池環境大臣のスピーチから感じることができた。反面、環境省と金融庁・全銀協・日本証券業協会の認識のギャップを強く感じざるを得なかった。金融業界の人たちの意識がグリーン化するまでにはまだまだ時間がかかりそうである。
そして、2001年8月、HP「環境と金融」を開設。構想は2年以上前から温めていたものの、集めた資料をどのようにプロデュースするかということとウェブサイトを作る技術を持っていなかったことがあり、立ち上げに時間がかかった。開設してから1,2年は検索サイトで「環境と金融」を入力すると半分くらいは自分のHPが出てくるくらい世間一般での「環境と金融」についての認知度・関心は低く、ウェブ上での情報も少なかった。
2002年に勤務先の銀行名が変わったが、持株会社の方でISO14001の認証取得を検討しているらしいという話を別の銀行経由で入手し、担当部署にコンタクトを取ってみたところ、話を聞いてくれるということになったので、業後に先方のオフィスを訪問して、自分の「銀行の環境経営」についての考えや思いを話した。このときに話を聞いてくれた方は非常にオープンマインドな方で、何ら色眼鏡を通すことなく、客観的に話を聞いてくれる人だったのでとても幸運だった。その方から作成中の提案書のドラフトを見せていただき、後日、私の考えを対案として示したところ、是々非々の姿勢で内容を見てくださり、最終版の半分くらいに私の案を採用していただいた。当時、これまたタイミングが悪く、経営危機で国有化の瀬戸際にあり、経営会議では「今はそんなことをやっていられる状況ではない」と却下されたが、社長まで目を通す提案書に黒子としてながら参画できたことは感慨深いものがあった。
その後、その方は銀行に異動され、今では海外金融部門での環境対応の推進者として活躍されている。現在までお付き合いは続いており、ときどきメールで情報交換・意見交換をしたり、たまに飲みに行ってざっくばらんな話をさせていただいたりしている。
2006年5月にNEDOからのCDM関連事業に携わる部門への出向者の募集があり、私の推薦に動いていただいたが、人事部は別の人を選び、残念ながら実現しなかった。夢がかなわなかったことは無念であったが、推薦してくださったその方には本当に感謝している。
2004年の8月から12月まで体調を崩して休職したが、この時期にHPをリニューアルしてHPのタイトルを「環境・CSRと金融」に改題した。この後くらいから徐々にアクセス件数が増えてきた。
2005年の2月には東大の山本良一教授の講演を聴き、環境問題が近い将来、人類を絶滅に至らしめるほど深刻なものになるという予測を聴いて、改めて社会を変えるには金融が変わらなければならない、という思いを強くした。同月からブログ「持続可能な社会と金融CSR」を開設。HPの方は「持続可能な社会の実現のために金融が果たすべき役割」にフォーカスしたものであるが、ブログの方はもっと幅広に持続可能な社会とはどんな社会でなければならないか、持続可能な社会を実現するためには何が必要か、といった観点から、様々なソースから情報をクリップすることにした。HPのタイトルもブログに合わせて「持続可能な社会と金融CSR」(Finance for Sustainable Society)に改題。
その後、SNS「ミクシィ」の日記にミラー・サイトを設置。環境・CSRのコンサルタントをされている足立直樹さんとはミクシィを通じて情報交換をするようになり、足立さんのブログ「サステナ・ラボ」はいつも読ませていただいている。
2006年7月にはSMFG主催の環境セミナー「環境・CSRと金融機関の役割」を聴講。UNEPFI特別顧問の末吉竹二郎さん、国際協力銀行で京都メカニズム担当審議役をされている本郷尚さん、日本政策投資銀行の政策企画部長・古宮正章さんらと簡単にお話させていただいた。
日本総研の足達英一郎さん と名刺交換した際には「ブログ拝見してます」と言っていただけて感激した。後日、4月に出版された新著「ソーシャル・ファイナンス」を送っていただき、最新の研究の成果を読ませていただいた。
また、CDM事業のフロンティアとして活躍されているブラジルSMBCの内田肇さん からもメールをいただいた。今、自分にできることは第一線でがんばっている方々の活動を社会に広く周知することなので、今後とも紹介して行きたい。
2006年6月にはシンクタンク国際通貨研究所のエコノミストである古屋力さんから意見交換したいとのメールをいただき、7月に入ってからお会いした。研究分野は「国際金融と環境」とのことだったが、ざっくばらんに話をさせていただき、まるで旧知の先輩のように激励・アドバイスまで頂戴した。所属する組織内では認められなくとも、外部に評価してくださる方がいるというのは誠にありがたいことである。
最近の心境はブログの記事「Movie「日本沈没」を観て思ったこと 」に掲載した。
話は少しそれるが、ここ数年で若くして死に逝く人を何人か見てきた。昨年は義弟がガンで亡くなり、今年に入ってからも友人の弟が末期ガンだという話を聞いた。体に異常を感じ、検査を受けたら余命数ヶ月という話は少なくない。死は意識する、しないに関わらず、常に生と隣り合わせにある。自分も日一日と近づきつつある死に向かって、今日一日を生きているのだ。だからこそ、生きることをおろそかにしてはいけないし、後悔しない様な生き方を自ら選択し、まさに命がけで生きなければならないと思う。
昨年暮れに脳内出血で危篤状態に陥り、奇跡的に生還した福島大学の飯田史彦教授が著書「ツインソウル」の中で、人間の魂が死んだ後に評価されるのは次の3点においてのみだと書かれている。
十分に愛したか? 十分に学んだか? 十分に使命を果たしたか?
私はこの考え方に強い共感を覚える。
社会的(社内的)な地位も、権力も、名誉・名声も、築いた富・財産も人間の本当の価値を決めるものではないのだ。人間は何も持たずに生まれ、死んでいくときも何も持たずに死んでいく。それでいい。自分自身が納得できる、悔いの残らない生き方ができればいいではないか。家族を愛し、人生の挫折や苦境から教訓を学び、自分が果たすべき使命のために心血を注ぐ。きっと子どもたちはそんな父の生き様を理解してくれると思う。
自分のやることが直接実を結んで自分が果実を手にすることはなくても、種をまき続けることで、きっと苗木は増えていくものと信じる。小さな苗木は枯れてしまうかもしれないし、大きく育つかもしれない。私にできることは、やがて大きな森に育つことを信じて種をまき続けることである。こどもたちの世代を守るために。そのために私はこれからもHPとブログを続けていく。
個体としての私は、やがて限りある生を終え、死を迎える。残された時間の中で、私にできること、やらなければならないことは、命を次の世代につなぎ、次の世代である子どもたちが生きていける社会を残すために力を尽くすことである。
大部分の人は気にも留めないかもしれないし、レスター・ブラウン氏が提唱されるようには、破滅へと向かおうとする大きな潮流を変えることなど誰にもできないのかもしれない。それでもただ指をくわえて見ているわけには行かない。持続可能な社会への移行ができないということは、持続不可能、すなわち人類が存亡の危機を迎えるということなのだから。
愛すべき子どもたちの未来のために、自分にできることを命がけでやること。それが自分の使命だと思う。
長文を読んでくださり、ありがとうございました。
さらに1年後の2007年8月に書いたコラムはこちら ↓
★「環境と金融」HP開設6周年を迎えて (2007/8/20)
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