カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の62件の記事

2009/02/05

お金のないバンカーと付き合うのはごめんよ

【経済コラム】金融危機で業界男性も評価替え、価値急低下-M・リン
  
2月4日(ブルームバーグ):投資資産のポートフォリオはボロボロ、雇用もマドフ事業への投資と同じくらい怪しい状態。事態は既に十分に悪いのに、ガールフレンドや妻までが、もっとおいしそうなパートナーに乗り換えようとしている。

金融業界での仕事が楽しいなどと言う者はいまだかつていなかった。業務時間は長いし仕事は退屈。わけの分からない数学の問題と取り組まなければならない。仕事仲間との付き合いはと言えば、オオカミの群れとピクニックする方がまだ安心なくらいだ。

しかし、これには見返りがあった。豪勢なオフィスと目の玉が飛び出るようなボーナス。もし自分が人類の頂点にいないとしても、少なくとも他の誰よりも近いと自信が持てた。最も基本的なところで、異性に対するあなたの市場価値は高かった。外見がレオナルド・ディカプリオでなく、ダニー・デビートに近くたって関係ない。バンカー以上の「オトコ」はいなかった。だが、今は違う。

信用危機が3年目に入り、世界中の政治家がボーナスをテロ並みの違法行為にしてしまうなかで、バンカーたちは「交際相手として望ましい職業」のランキング表で自分の順位が滑り落ちていくのを感じている。

バンカーと付き合っている、または過去に付き合っていた女性たちの不満を集めたニューヨークのブログが注目を集めた。調査によれば、金融界の「富豪」たちは愛人や恋人のために使うお金を減らしているようだ。この結果、多くの女性が自身の人生について考え直す可能性がある。

使えない

バンカーたちにはお気の毒と言うしかない。大金を稼いでいる間は、異性にモテるのは簡単だった。給仕長に十分なチップを払ってしゃれたレストランで最高のテーブルを確保することもできた。(値段も)最高級のワインを同伴者ののどに流し込むこともできる。これでダメならティファニーの包みを取り出して見せればいい。

今はすべてが変わってしまった。ピザハットの2人掛けテーブルで値引きクーポン付きメニューを注文し、会社で次々人が首になっているという暗い会話をしても、異性を引き付ける効果はない。

「あるバンカーとのデート」と題したブログは、開始以来多くの人が閲覧した。真実なのか、誰かの気の利いた創作なのかは知らないが、これは時代精神に触れた。ちょっと恐ろしいほど率直な女性たちの発言は、金融業界で働くボーイフレンドたちをこき下ろす。皆の結論は1つだ。ボーナスのないバンカーは、エンジンのない車と同じくらい使えない。

ある投稿者はこうつづる。「お金を追いかけるわけじゃないけど、お金のないバンカーと付き合うのはごめんよ。冷たいようだけど、少なくとも正直でしょ」。

愛人願望

金融業界の男性が恋人たちを甘やかす支出を減らしていることは既に明らかだ。調査会社プリンス・アンド・アソシエーツのラス・プリンス社長は、2000 万ドル以上の資産を持つ男女191人を対象に調査を実施した。すると、男性の 80%以上が愛人に渡す「小遣い」を減らす計画だと回答。プレゼントを減らすという回答もほぼ同数に上った。

不景気の時代には、愛人になる動機は高まる。簡単に金を稼ぐほかの方法は日々、不安定になっていくのだから。プリンス社長は電子メールで質問に答え「男女を問わず、愛人になりたいという願望は高まるだろう」として、「現在のような不景気は、豊かな生活の魅力をさらに高める」と説明した。

そうかもしれない。しかし待てよ。愛人に与えられる「小遣い」と「プレゼント」が急減しているなら、この職への志願者も減るかもしれない。結局、バンカーと付き合うことは金銭面で、かつてに比べはるかに妙味の薄い行為となったわけだ。従って、バンカーは異性を引き付けるために機知や人間的な魅力を発揮する必要がある。しかし、これらに関するポジションが「ショート」、つまり手持ちのないバンカーもいる。

20年以上にわたり、金融は世界で最も高級な職業とされてきた。報酬は他のどの業種よりも高く、威信もあった。このステータスは多くの点から評価されたものだ。カネもその1つだが、尊敬、地位、名声なども足し算の中に入っている。攻撃的で野心的な男性が投資銀行でのキャリアに群がった理由の1つは、まるで自分が世界を動かしているような気分になれることだった。

もっとも、社会学を学んだ者はたいてい、職業選択に際し異性にモテることは他の多くの要素よりも重視される公算があると指摘するだろう。この点で、バンカーはもはや他の職業の上に君臨することはできない。金融業界の大物たちは、わすか数カ月の間に、トップの座から滑り落ちた。このことは、今回の金融危機が教科書の脚注で言及されるだけになるはるか後まで、業界と、そこに働いていた個人の人生に、深い影を落とすだろう。

(マシュー・リン)

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2009/01/24

感染列島

Kansenrettou
仕事帰りに市川市内の映画館で「感染列島」を観てきた。数ヶ月前から心待ちにしていたので、疲れた体を引きずってのレイトショーでも平気だった。

ストーリーは知っていたので、映像的にどう表現されているかを観るつもりで見始めたものの、そのリアルさには思わず引き込まれてしまった。病院内でのシーンが多く出てくるが、凄惨かつ苛酷、強毒ウイルスが感染拡大をしたら、これほどまでに厳しい現実になるのだということをまざまざと見せつけられる。

本作品では、原因となったウイルスは新型インフルエンザ以外の未知のウイルスというストーリーになっているが、被害想定は明らかにH5N1型の新型インフルエンザが感染拡大した場合のシミュレーションである。国立感染症研究所の岡田さんからも著書をいくつか頂いてH5N1について学んでいるから、そのことがよく分かる。

そんなふうに冷静に分析している自分がいるのと同時に、感情が揺さぶられている自分もいた。特に家族の一方が死んでしまうシーン、幼い子どもが出てくるシーンでは嗚咽こそ出さなかったものの、涙はこらえきれなかった。自分がその立場にいたら胸が張り裂けそうになるだろう。死ぬ側に回れる方がどれだけ楽なことかと思う。

各シーンを見ながら、パンデミックが起こったときに人間がどのような行動をとるのかということも学ばなければならないことだと思う。大切な家族を持つ人が、パンデミックが起こる前に、また、起こった後に何をどうしなければならないかを考えなければならない。映画の中では多くの一般の人々は無知であり、愚かであり、利己的で弱い。そのようにものだと思うのではなく、そうならないために多くの人には変わってほしいと思う。自分にとって大切な人たちを守るために。

一部の盛り上げるために付加されたであろうシーンは別にして、全般で描かれている感染拡大から社会機能の崩壊までの描写は決して大げさではないと思う。近未来のドキュメンタリーだと思って観ることをお勧めしたい。

ラストシーンで出てきたセリフはお馴染みのものであるが、あえて書いておきたい。

「明日、地球が滅びるとも、君はリンゴの樹を植える。」

子どもたちを守らねば。その思いが自分自身にとっての原動力であることを再確認した。

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◆映画『感染列島』公式サイト

◆知識のワクチン 新型インフルエンザ予防マニュアル

◆新型インフルエンザを迎え撃つ「3種のワクチン」

◆新型インフルエンザ・クライシス(本)

◆市民のための新型インフルエンザ対策ガイドライン(小樽市保健所)

◆米国政府・パンデミックインフルエンザ・ホームページ

★H5N1-強毒性新型インフルエンザウイルス日本上陸のシナリオ★
H5n1_simulation

★新型インフルエンザXデーガイドブック(Web)
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★新型インフルエンザ対策関連情報(厚生労働省)

★国立感染症研究所・感染症情報センター

★「新型インフルエンザ対策ガイドライン(フェーズ4以降)」(厚生労働省)

★新型インフルエンザに関するQ&A(厚生労働省)

★鳥及び新型インフルエンザ海外直近情報集

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2007/12/16

「見殺しはやむを得ない」という現実

サスラボの記事「誰を箱舟に乗せるか?」(http://suslab.seesaa.net/article/72710921.html)から。

環境変化への対応のため、というとピンと来ないが、例えば「水」の支配権をめぐる(含む)戦争/紛争はすでに起こっているし、これから水資源が減少して人口が増えるという、よりシビアな状況になれば武力行使という選択は今まで以上に高い確率でとられるに違いない。

世界全体を支配する絶対的かつ理性的な権力者が存在すれば、人類の中で「誰を誰を機残らせて、誰を見殺しにするか」という問題を考えるのは一人の為政者(または単一の政府)で、ある意味で「適切な判断」がされ得るかもしれない。(可能性として)しかし、現実には大小様々の国家/地域連合体が存在する。当然ながら利害の対立が生まれ、理性的な判断では(それすらも残酷であるのに)済まなくなる。

残念なことに人類は、貧困問題や環境問題の解決のために使うよりも多くの資金を軍備(人殺しの道具)の増強のために使っている。それは大多数の為政者が最後には武力で(他国民を殺してでも)自国民の生存権を勝ち取るしかないと考えているからではないだろうか。

他者を滅ぼさない限り自らの生存権を確保できない状況に追い込まれたときに、理性的であり続けられる為政者や国民はどれだけいるものか。それは人間とはどのような生き物か、根本への問いかけなのかもしれない。

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エコプロダクツ2007に行って来た

3日目にしてようやく行って来た。(平日は仕事で無理なので)

◆金融関係のブース(フォトも掲載)

三菱UFJは大画面でプレゼンをやっていて、多い時で35人くらいの聴衆。内容もなかなかよくアピールがうまかった。TVの特集番組の企画・作成でThink the Earthと組んだことがノウハウとして活きているのだろうと思われた。

みずほはパネル展示のみで集客もイマイチ。キッズISOや児童画の展示などで彩りはあったが、単調なパターンのパネル展示だけではインパクトがない。プレゼンの仕方をもっと工夫すべき。

大和証券Gは広いスペースにパネル展示だけで閑古鳥が鳴いていた。SRIファンドやエコファンドをもっと大々的にアピールすればいいのにパンフさえ見当たらなかった。担当者も一人きりで灯台守のようだった。

JBICとDBJは小さなスペースにパネル展示のみ。やっていることは先進的で意義深いことがたくさんあるのにこれではもったいない。

ドイツ銀行AMは広いスペースの半分を応接用としていて展示はポスターのみ。一体何を誰に対してアピールしたいのか不明。

◆NPO/NGO/教育機関のブース

それぞれがそれなりの思いを持って活動をしていることは感じ取れるが、狭いスペースしか割り当てられないことと一般の観客にはなかなかヒットしないんだろうなと感じられた。

その中でも積み重ねた経験により着実に質を高めているところやモチベーションの高そうなスタッフがいるところは活気があるが、そうでないところはこういう機会を十分に活かせないのが現実だろう。

◆企業関連のブース

メジャーな企業からマイナーな企業/団体まで規模も内容も様々だったが、辛口でいえば大手は「きれいなコンパニオンを使って客寄せをやってたくさん売り込もう」という姿勢が目立った。どれだけエコな活動/製品なのかがわからないものが多数あった。

とはいえ、高い技術力や志に基づいた活動というものも確かにあり、それらに目を向けられるかどうかは、消費者側の質の問題ではある。

特に印象に残った企業はリコー。展示/プレゼン内容から地に足のついた活動をきちんとやっていることがはっきりと見て取れる。各コーナーに質問にきちんと答えられる社員を配置している。クイズ・コーナーでCD-ROMを無料配布していたが、この中には環境経営報告書も含まれている。リコーの特徴は「何のための環境経営を行うのか」という根幹の部分が経営にきちんと組み込まれていることではないか。

企業ではないが印象に残ったのは CARBON OFFSET JAPAN。代表理事に末吉竹二郎さん、理事にもFuture500の木内孝さん、世界銀行・元副総裁の西水美恵子さんなど重厚な顔ぶれ、運営はイースクエアに委託されている。やるなぁ、ピーダーセン社長。

滞在時間は4時間半ほどであったが、ざっと1周して、中に入って展示物を見たのはごく一部、時間は全然足りなかった。もらった資料はそれなりの量にはなったが、話を聞きだすと10分、15分は経ってしまうので、ほとんどはスルーだった。

ステージの方にも行かなかったが、たまたま通りかかったときに、ルー大柴がラップで「エコとトゥギャザー」とか歌っているのが見えた。

あと、歩いているときにエコ入門ツアーをしている小林伸之さん(サステナビリティ日本フォーラム)とすれ違い、エコ松さんが健在であることを確認(?)し、3つの団体の共同ブースをコーディネートされているシーサーさんとお話しして会場を後にした。

次回は休暇を1日取って、2日間くらいかけてゆっくりまわりたい。

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2007/08/20

「環境と金融」HP開設6周年を迎えて

ちょうど1年前に 「環境と金融」HP開設5周年を迎えて を書いたので、6周年の節目にこの1年を振り返ってみようと思う。

長文になりそうなので、先に結論を言うと「さまざまな出会いがあるから、この活動を続けられる」である。

いろいろな方々との出会いという視点から書いてみたい。まずはSNSミクシィを通じて生まれたつながりから。

2006年9月30日にコミュニティ 「持続可能な社会と金融」 を開設。2007年8月20日現在で参加者数は539人になっている。コミュニティの説明の冒頭には以下の通り書いてある。

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持続可能な社会を作っていくために「金融(Finance)」が果たせる役割についての情報ライブラリー&情報交換のためのコミュです。 「持続可能な社会・環境・CSR」と「金融」との関係・つながりについての理解を深める場です。 利己的な金儲けではなく、永続可能な社会作りのために「Money」を使おう!という志向/公共心/倫理感を持った方の参加をお待ちしています。

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自分と同様に銀行出身で今は研究職に就かれている人では、職場の先輩であった宿輪純一さん、そして、唐木宏一さん。

宿輪さんはMUFGに勤務しながら、大学で教鞭をとり、全銀協の委員会で要職につき、日銀にも出入りし、最近では日本経団連で講演をされている。おまけに映画評論家までされているというスーパーマルチ人間。日経BPにも連載されている。ボランタリーな会として公開ゼミを月一で開かれており、他では聞けない話を惜しげもなくされている。

唐木さんとはまだリアルではお会いしていないが、 「金融CSR総覧」 を購入するときに著者紹介割引にしていただいた。銀行を辞めて学究の道に入られて外から金融を見るという、私が目指したくてなれなかった道を、今まさに進んでおられる方である。

尚、金融CSR総覧の執筆陣の中でお会いしたことがあるのは、足立直樹さん(RAI代表取締役)、猪刈正利さん(インターリスク総研)、金井司さん(住友信託銀行)、小榑雅章さん(向社会性研究所)、河口真理子さん(大和総研) 、木内孝さん(FUTURE500/GRIFJ)、後藤敏彦さん(SIF-J)、古宮正章さん(日本政策投資銀行)、末吉竹二郎さん(UNEPFI)、藤井良広さん(上智大学)、水口剛さん(高崎経済大学)、満田夏花さん(地球・人間環境フォーラム)、山本利明さん(財団法人トラスト60 )、山本良一さん(東京大学)。

mixiが起点で他の会でも集まっている方々では、木村麻紀さん(オルタナ副編集長・環境ビジネスウィメン)、岸和幸さん(こころの生態系づくり)、野口りさこ さん(C.W.ニコル・アファンの森財団)、田辺有輝さん(JACSES)、新谷大輔さん(三井物産・立教大学)。

さらに派生する会で出会った方では、森摂さん(オルタナ編集長)、新樂智夫さん(オルタナ代取)、福井喜久子さん(SEKISUI)、西口聡子さん(イースクエア)、篠健司さん(パタゴニア)、黒岩典子さん(AVEDA)、大川哲郎さん(大川印刷)、山中千花さん(トヨタ)、山田順之さん(鹿島)、島津真太郎さん・都丸一昭さん・大野絢子さん(grounding lab)。

環境省での勉強会でお会いした方は、中坪治さん・鈴木清彦さん(環境省)、相馬宏充さん(Innovest)、森洋一さん(あずさサステナビリティ)、八田真さん(損保ジャパン)、糸岡栄博さん(損保ジャパンRM)、旗野萌子さん(大和投資信託)、坂本恵美さん(DTS)、菊池武晴さん・中澤伸一さん・市坂紘平さん(日本政策投資銀行)、島誠二さん・箱山尚香さん(日産)。

日本の銀行で初めてマイクロファイナンス支援を始めた新生銀行の乗富和子さん、Think the Earth 上田壮一さん、Earth Literacy Program 竹村真一さん、RANの川上豊幸さん、海洋温度差発電を手がけるゼネシスの里見さん、地球・人間環境フォーラム根津亜矢子さん、Climate Experts 松尾直樹さん、みずほFTの浜岡泰介さん、サイバーエージェントの中里昇吾さん、シンポジウムに招待してくださった全銀協の増田豊さん。

上記の方々以外にも多くの出会いがあった。すべての方を網羅できない失礼をお詫びしたい。また、本来であれば、一人ひとりの方に語りたいエピソードがあるところ割愛することをご容赦いただきたい。

話は変わるが、2007年の3月頃から体調が思わしくなく、近くの診療所に行ったら大腸の内視鏡検査の紹介状を書かれた。昨年、友人から大腸ガンの手術をした話と弟さんがガンで闘病されている話を聞いていたので、また、祖父母がガンを患った経験があることもあり、ある程度の確率で自分はガンなのではないかと考えていた。

胃と大腸の内視鏡検査はGW前であったが、検査前も結果が出るまでの間も、自分に残された時間が数カ月に限定されることを半ば前提にしていろいろなことを考えていた。死を意識しても怖いと感じることはなく、残された時間の中で自分がやるべきことをきちんとやり遂げて、自分の使命を果たした上で逝かなければならない。ごく自然にそのように考えていた。自分でも不思議なくらい淡々と日々を生きていたように思う。結果的に悪性のものは発見されず、当分は生きられそうであるが、限りある時間をおろそかに過ごしてはならないと思う。今日一日を大切に生きなければ。

HPもブログもThink the Earth の上田さんからは「過剰なくらいの情報」(苦笑)といわれてしまったが、たしかに「環境・CSRと金融」というカテゴリーでは日本に存在するサイトの中で屈指の情報量であろうし、情報検索の玄関口として有用なものになったと思う。HPの方は検索機能が課題であるので、改善を今後の課題としたい。

ブログの掲載記事も3100を超えて情報量が膨大になりつつあるが、ほとんどが情報クリップなので、情報収集を効率的に進めるツールとして活用してもらえれば幸いである。

最後に1つだけ最近のエピソードを紹介すると、つい先日、ブラジルでCDMに取り組んでおられるブラジル三井住友銀行の内田肇さんからメールをいただいた。7月にSMFGのセミナーで4日間だけ帰国されていたが、セミナーには行くことができなかった。私はせっかく日本にいらしているのだから、いろいろ語り合いたいなぁ、と思っていたのだが、内田さんからのメールには同じ思いを持っていただいていたことが書き綴られていた。そして、以下のような一文を読んで胸が熱くなった。

「時々、思うんですがどうしてこうしたことをやっているのかというと、やはり伏木さんのように思うところをまっすぐ突き進んでいく人がそばにいるからやれているのではないか と思ってます。その意味で伏木さんには都度、「ありがとう!」です。 」

私の方こそ「ありがとう!」です。内田さんのようにがんばっている人がいるから未来に希望を持つことができる。応援することができる。がんばっている人、これからがんばってみようと思っている人を勇気づけることができるなら本望です。私はそんな人たちにエールを送り、支える存在でありたい。

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2007/07/11

それでも生きる子供たちへ

渋谷シネマライズで観てきた。

◇公式サイト--イントロダクション

まず、観に行く前にサイトや予告編を見て想像していたイメージと実際に見た後の印象はかなり違った。

観る前の想像では、過酷な状況下でも健気に生きようとする子供たちの生命力、明るさ、希望を描き出した作品なのかなと思い浮かべていた。

観た後に思ったことは、子どもたちの置かれている状況を描写することによって、その国や地域の社会的な状況を見せているということ。日本のような平和で豊かな国で暮らす人間には想像もできないような過酷な生存環境が世界にはたくさんある--むしろ日本の方が例外である--ということを、平和ボケした日本人なりに直視させられる。先日、中国で報道された「集団児童拉致、強制労働事件」のようなことは、世界中で当たり前のように行われているのが現実であるということを思い知った。

また、それぞれのドラマの中に出てくる主人公の子どもたちは、決して明るく無邪気な存在ではない。幼いながらにその心に深い傷を刻み、悲しみ、苦悩、恨み、憎悪、怒り、無力感、絶望などの心の痛みを背負った子どもたちである。子どもたちの心が健やかに育つためには、安定した安全な社会、必要最低限の経済的な豊かさ、家族が心身ともに健康であること、(両親などの)自分を愛してくれて守ってくれる人の存在、などいくつも必要なものがあることを痛感した。また、それらを望むべくもない子どもたちがいかに多く存在するかも・・・。

監督の一人、ヴィネルッソ氏が「子どもが絶対に見るべきじゃない悲惨なものを見ている子どもたちはたくさんいる。そして悲しいことに社会の状況は一向に良くならない。怒りで満ちた彼らの瞳が僕を変えさせた。」と述べている。

全編を重く受け止めながら冷静に見ているつもりだったが、最終話「桑桑と小猫」では涙をこらえることができなかった。もし、自分の目の前に小猫がいたとしたら、ひたむきに生きようとするその姿に、守ろうとせずにはいられないだろう。

耳触りのいい言葉で飾られた「あるべき論」に興ずることよりも、人間として忘れてはいけない、ずっと大切なことがあるということを魂に刻んできた。

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2007/07/01

死ぬ覚悟をした上で今日一日を生きる

一昨日、友人の弟さんが亡くなって、今日はお通夜に参列してきた。一年余りにわたりガンと闘病されていた。

息子を亡くされてすっかり力を失われたご両親のお姿も見ていて辛かったが、何よりも幼い子供とともに残された奥さまの悲しみが痛いほど伝わってきてやるせなかった。

自分の妹の夫が2年余り前にガンで亡くなっているので他人事とは思えなかった。ガンが発見されてからの弟さんの様子をときどき聞いていたので、頭では予期していた出来事だったが、いざご遺族の方々の様子を目の当たりにすると胸が詰まった。

お経をあげられたお坊さんの話でいくつか印象に残ったことがあるので、以下に書きとどめておきたい。

人間は誰しも明日を迎えられるという保証はない。だからこそ死ぬ覚悟をした上で今日という日を精一杯生きなければならない。一日を生きられたら感謝して眠りに就く。翌朝目覚めたら、今日一日の命をもらえたことに感謝して生きる。そういう気持ちが大切。

健康で五体満足で3食食べられるという平凡な生活を送れることがどんなに幸せなことか。人はそれを失って初めてそのありがたみに気付く。その幸せをかみしめながら生きることが大切。

結婚はスタートライン。幸せだったかどうかを振り返るのは添い遂げられたとき。自分が死ぬ時に「あなたがいてくれてよかった」と感謝されるような生き方ができたかどうかが、その人が幸せな人生を送れたかどうかを決める。

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自分が死んだときには泣いてくれる人や感謝してくれる人が何人もいてくれるように、自分の人生をしっかり生きなければならないと胸に刻んだ。

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2006/09/29

人間が選ぶのは戦争による生き残りか

「共存・共生により持続可能な社会を目指すか」と「限られた生存権をかけて競争・戦争により淘汰を行なうか」のいずれの道を選ぶか、いずれにせよ選択は人間の手に委ねられている。

◆中東、石油収入で軍拡・援助(資源ウオーズ)

不安定化増幅の懸念

核開発問題で米国と対立するイランの軍事予算が2002年からの3年間で2倍になった。英シンクタンクの軍事報告書「ミリタリーバランス」によると2005年は62億ドル。軍拡の軌跡は原油相場の上昇ラインと重なる。「核開発は絶対的な権利」と繰り返すアハマディネジャド大統領を支えるのもオイルマネーだ。
 
9月中旬、ペルシャ湾に面するアラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビに湾岸協力会議(GCC)を構成する六産油国の国軍制服組トップが集まった。「我々は地域が直面する潜在的な脅威に備えなければならない」。会議の冒頭で発言したUAE国軍幹部が想定する仮想敵国はイラン。イスラム教スンニ派が政権を握るGCC6カ国にとってシーア派のイランは警戒の対象だ。
 
会議の2週間前、そのイラン国軍が新型戦闘機「サエゲ(稲妻)」の試験飛行を国営テレビで公開していた。さらに会議後もテヘランでの軍事パレードでイスラエルや欧州の一部を射程に収める弾道ミサイル「シャハブ3」など、増産する主力兵器を誇示した。
 
GCCもイランに負けじとオイルマネーを兵器に振り向ける。2005年の6カ国の国防費は合計で380億5600万ドル(サウジアラビアが全体の7割弱)と2002年より3割増えた。
 
膨らむ兵器需要に群がるのは米欧の軍需産業だ。
 
米国は9月、UAEに防空用とみられるロケット砲など7億5200万ドルの兵器売却を決定。7月にはサウジなどイランの膨張を警戒する親米のアラブ国家に計46億ドルの兵器を供与する計画を明らかにした。
 
サウジは軍用ヘリなど25億ユーロ(約32億ドル)のフランス製兵器を購入する契約を結ぶ見通し。8月には英国から新型戦闘機72機を200億ドルで買い付ける契約を結び、国境線には50億ドル以上を投じてレーダーシステムを配備する。

中東民主化構想を唱えるブッシュ米大統領。9月の国連演説で「イラン指導部は国民の自由を奪い、核兵器の開発をめざしている」と指摘したが、オイルマネーに吸い寄せられる米国の軍需産業が安全保障に及ぼす影響も否定できない。

中東には米国の中東政策が「実態に合わない」といった不満がある。そこを突いてイランはオイルマネーを「援助」として投じ、反米勢力の囲い込みを狙う。
 
「最大で年間5億ドル」がイランから流れているといわれてきたレバノンのシーア派民兵組織ヒズボラ。イスラエル軍の空爆で自宅が全壊した住民に一世帯あたり1万2000ドルの見舞金を出すと発表した。レバノンの平均給与の2年半分。背後にイランの支援拡大をうかがわせる。
 
一方、サウジは9月、ストックホルムで開かれたパレスチナ支援国会合で2億5000万ドルの拠出を約束した。パレスチナ自治政府を主導するイスラム原理主義組織ハマスはスンニ派。イランからハマスへの支援は年間1億ドルに満たないとされる。サウジがイランの影響力低下を画策しているのは明白だ。
 
オイルマネーで広がる「援助外交」が中東の地政学リスクをさらに増幅する懸念もある。

(日経 9/26)

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2006/09/10

ルワンダの悲劇は未来のプロローグか

あだなお。さんのブログ「サステナ・ラボ」の紹介記事「勇気がもたらした奇跡」を読んで、観たいと思っていた映画「ホテル・ルワンダ」をDVDで観た。

100日で100万人の大量虐殺。なたを手にとって何の罪もないツチ族の人々を次々と殺していくフツ族の「普通の人々」の姿に、人間のおぞましい本性の一部を見た気がして戦慄を覚えた。これはフツ族が特に残虐な性質を持った民族であるということではなくて、どんな民族も状況によっては大量虐殺者になり得るし、大量虐殺される側にもなり得るということである。

環境問題を考えるとき、水不足と食糧不足について考えずにはいられない。今日のNHKスペシャル「マグロが食卓から消える?~世界の魚争奪戦~ 」を観ても、今後、食糧の争奪戦が激化することは間違いない。商業上の競争というだけならば、高いコストさえ払えば対応できるかもしれないが、それも相当の供給量がある間の話であって、食糧不足が自国民の生存の危機に及ぶような状況になれば、もはや商取引上の「競争」ではなく、国家存亡をかけた「戦争」になることは不可避ではないかと思われる。

ルワンダで起こったような悲劇が日本国内で内戦という形で起こるとは思わないが、外国との戦争・紛争に巻き込まれる懸念は否定できない。国家・国民の安全保障を考えるときに、人道主義や博愛主義では対応できないという現実にはやりきれない気持ちもあるが、冷徹に向き合わなければならないのだと思う。

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2006/08/20

「環境と金融」HP開設5周年を迎えて

2001年にHP「環境と金融」を開設してから、5周年になった。これまでの環境関連の活動の軌跡を振り返ってみようと思う。

環境関連のNPO「ネットワーク地球村」高木善之さんの講演会を初めて聴いたのは1995年で、すぐに会員になった。しかし、個人的にできることの範囲を超えて何かをするという発想はその時にはなかった。

環境問題の解決のために「金融」が大きな役割を担い得る、また、社会を変えていくためには「金融」を動かさなければならないということを思い立ったのは、1999年の春だった。きっかけとなったのは環境マネジメントシステム「ISO14001」の審査員研修に行って、様々な業種の人たちと話をしたことだった。産業界は環境問題に懸命に取り組んでいるのに、銀行はそれを評価してくれない。それを聴いて、銀行は変わらなければならないという思いを強く持った。とりわけ巨額の資金を扱う都市銀行の企業行動を変えることは、日本の社会全体の変革を強力にサポートし得るものであるし、何とかしてそういう方向へ動かすことができないものかと思案した。

そうはいっても巨大な組織の中で、末端の存在である自分に直接できることは何もなく、経営に影響力のある人を動かすしかないと思った。経営企画セクションの社会貢献事業担当の人に分厚い資料のファイルを持って直談判に行き、環境問題に取り組む部門を銀行の中に作ることの必要性を説いた。今、思えば、城外にいる身分の低い家来が単身で城内に乗り込み、重臣に直言したようなものであるから、最初から相手にされなくともおかしくないし、無礼者と切って棄てられても不思議ではなかった。しかし、一応、ひと通りの話は聴いてもらえ、検討してもらえたようであるが、不幸なことに銀行自体が経営危機のさなかにあり、それから程なくして他行との統合という話が持ち上がって、環境専門部署の設置は立ち消えになった。

それとは別に、日経エコロジーや日経ECO21(現在は休刊)に「環境と金融」の特集記事の企画を提案したら、日経エコロジーはなしのつぶてだったが、日経ECO21の編集部から連絡が入り、編集長・副編集長・ライターさんの3人と食事を取りながら、企画の内容や編集方針、取材に行ってもらいたい先などについて話をした。結果的に「金融機関の環境への取り組み」を特集する記事が8ページ掲載された。都市銀行の環境への取り組み比較一覧表も載ったが、残念ながら反響は少なかった。まだ、1999年当時は「環境」と「金融」を結びつけて考えられる人がごくわずかしかいなかったのだろう。

日経エコロジーが「グリーン金融」の特集を初めて掲載したのは2005年12月号だから、私が企画を提案してから実に6年以上になる。時代が変わるまでには長い時間が必要だった。

しかし、同様の活動は A SEED JAPAN の「エコ貯金ナビ」に(直接接点はなかったが)受け継がれており、月刊地球環境2006年9月号の「環境・CSRと”金融力”」の特集にも紹介されている。

ASJ理事の土谷和之さん はマイミクであり、ASJやSIF-Jのセミナーでお会いしている。彼のような若者が同じ志を持つ者として活動してくれていることはたいへんうれしい。

その後、社内では非公式の掲示板(若手行員が運営管理者)が開設され、銀行にとってポジティブな意見は何でも自由に投稿してください、というアナウンンスがあったので、「銀行は環境金融へ積極的に乗り出すべき」という趣旨の意見と事例を続けて投稿したら、何と人事部から上司に電話が入った。内容は「彼に仕事を与えていないんですか?」というもので、要は「自分の仕事と関係ないことを投稿するほどおまえは暇なのか」ということだった。組織の上層部のあまりの無理解、ネガティブな反応と、上司にも迷惑をかけたことから、以後、銀行内での活動は自粛し、組織人という立場を離れて、「個人的な活動」として行動することにした。

2000年夏にはJEMASの個人会員となり、環境監査研究会等への参加を通じて、数々の環境関連団体に携わっておられる後藤敏彦さんやトーマツ環境品質研究所の間瀬美鶴子さんと出会い、その後、後藤さんとはSIF-Jでも度々お会いしている。また、SIF-Jを通じて、大和総研の河口真理子さん、FUTURE500理事長/GRI日本フォーラム会長の木内孝さんともひざ詰めで話をさせていただいた。

先の日経ECO21で取材を頼んだ先のひとつがエコファンドを世に送り出したグッドバンカー社だったが、2001年の春にお誘いがあり、オフィスを訪問させていただいた。行ってみると軽食まで用意して迎えてくださって、筑紫みずえ社長以下、社員全員の皆さんと意見交換をすることができ、有意義な時間を持つことができた。「環境と金融」についての自分の考えと銀行内の意識のギャップについて率直に語った。

2001年の6月には個人会員になっていたJEMASの「環境マネジメントセミナー」のお手伝いで受付をしたが、その時に知り合ったのが当時、財務省主計局・環境省担当をされていた坂本忠弘さんで、自分の考えを簡単に伝えたことに興味を持ってもらえ、その後、メールを何度かちょうだいし、環境省で勉強会をするので来ませんか、というお誘いをいただいた。ざっくばらんな勉強会だから、気軽に参加してくださいという話だったので了解したが、シックスセンスが働き「自分一人で乗り込まない方がいい」と頭に浮かんだので、当時、日経エコロジーに「金融」の切り口から記事を書いておられた 東京三菱証券(現・三菱UFJ証券)の波多野順治さん (クリーンエネルギーファイナンス委員会長)をお誘いした。来てくださるかどうか全く見込みもないまま、ダメ元でお願いしたら、快く受けてくださった。

2001年7月に霞ヶ関の環境省の庁舎に行き、指定された場所へ行ってみると坂本さんが出迎えてくださり、波多野さんとも合流できた。会議室へ通されて程なくして、総合政策局の審議役・課長・課長補佐クラスの方が8名もやって来られ、さすがにただの勉強会ではないことを察した。

実は当時、環境省内でも「金融のグリーン化」の検討が始まっており、非公式ながら金融業界にいて環境マインドの高い人の話を聴いてみようということだった。結局、8割方の質問については波多野さんが答えてくださり、伝えたいことが的確に伝わってよかった。波多野さんとは勉強会の後、一緒に食事に行き、ざっくばらんに話をさせていただいた。

それから5年後の、2006年8月に「環境と金融に関するシンポジウム」が開催されたが、金融庁や証券業界はともかくとして、環境省の中では「環境と金融」についての理解が浸透しているということを小池環境大臣のスピーチから感じることができた。反面、環境省と金融庁・全銀協・日本証券業協会の認識のギャップを強く感じざるを得なかった。金融業界の人たちの意識がグリーン化するまでにはまだまだ時間がかかりそうである。

そして、2001年8月、HP「環境と金融」を開設。構想は2年以上前から温めていたものの、集めた資料をどのようにプロデュースするかということとウェブサイトを作る技術を持っていなかったことがあり、立ち上げに時間がかかった。開設してから1,2年は検索サイトで「環境と金融」を入力すると半分くらいは自分のHPが出てくるくらい世間一般での「環境と金融」についての認知度・関心は低く、ウェブ上での情報も少なかった。

2002年に勤務先の銀行名が変わったが、持株会社の方でISO14001の認証取得を検討しているらしいという話を別の銀行経由で入手し、担当部署にコンタクトを取ってみたところ、話を聞いてくれるということになったので、業後に先方のオフィスを訪問して、自分の「銀行の環境経営」についての考えや思いを話した。このときに話を聞いてくれた方は非常にオープンマインドな方で、何ら色眼鏡を通すことなく、客観的に話を聞いてくれる人だったのでとても幸運だった。その方から作成中の提案書のドラフトを見せていただき、後日、私の考えを対案として示したところ、是々非々の姿勢で内容を見てくださり、最終版の半分くらいに私の案を採用していただいた。当時、これまたタイミングが悪く、経営危機で国有化の瀬戸際にあり、経営会議では「今はそんなことをやっていられる状況ではない」と却下されたが、社長まで目を通す提案書に黒子としてながら参画できたことは感慨深いものがあった。

その後、その方は銀行に異動され、今では海外金融部門での環境対応の推進者として活躍されている。現在までお付き合いは続いており、ときどきメールで情報交換・意見交換をしたり、たまに飲みに行ってざっくばらんな話をさせていただいたりしている。

2006年5月にNEDOからのCDM関連事業に携わる部門への出向者の募集があり、私の推薦に動いていただいたが、人事部は別の人を選び、残念ながら実現しなかった。夢がかなわなかったことは無念であったが、推薦してくださったその方には本当に感謝している。

2004年の8月から12月まで体調を崩して休職したが、この時期にHPをリニューアルしてHPのタイトルを「環境・CSRと金融」に改題した。この後くらいから徐々にアクセス件数が増えてきた。

2005年の2月には東大の山本良一教授の講演を聴き、環境問題が近い将来、人類を絶滅に至らしめるほど深刻なものになるという予測を聴いて、改めて社会を変えるには金融が変わらなければならない、という思いを強くした。同月からブログ「持続可能な社会と金融CSR」を開設。HPの方は「持続可能な社会の実現のために金融が果たすべき役割」にフォーカスしたものであるが、ブログの方はもっと幅広に持続可能な社会とはどんな社会でなければならないか、持続可能な社会を実現するためには何が必要か、といった観点から、様々なソースから情報をクリップすることにした。HPのタイトルもブログに合わせて「持続可能な社会と金融CSR」(Finance for Sustainable Society)に改題。

その後、SNS「ミクシィ」の日記にミラー・サイトを設置。環境・CSRのコンサルタントをされている足立直樹さんとはミクシィを通じて情報交換をするようになり、足立さんのブログ「サステナ・ラボ」はいつも読ませていただいている。

2006年7月にはSMFG主催の環境セミナー「環境・CSRと金融機関の役割」を聴講。UNEPFI特別顧問の末吉竹二郎さん、国際協力銀行で京都メカニズム担当審議役をされている本郷尚さん、日本政策投資銀行の政策企画部長・古宮正章さんらと簡単にお話させていただいた。

日本総研の足達英一郎さん と名刺交換した際には「ブログ拝見してます」と言っていただけて感激した。後日、4月に出版された新著「ソーシャル・ファイナンス」を送っていただき、最新の研究の成果を読ませていただいた。

また、CDM事業のフロンティアとして活躍されているブラジルSMBCの内田肇さん からもメールをいただいた。今、自分にできることは第一線でがんばっている方々の活動を社会に広く周知することなので、今後とも紹介して行きたい。

2006年6月にはシンクタンク国際通貨研究所のエコノミストである古屋力さんから意見交換したいとのメールをいただき、7月に入ってからお会いした。研究分野は「国際金融と環境」とのことだったが、ざっくばらんに話をさせていただき、まるで旧知の先輩のように激励・アドバイスまで頂戴した。所属する組織内では認められなくとも、外部に評価してくださる方がいるというのは誠にありがたいことである。

最近の心境はブログの記事「Movie「日本沈没」を観て思ったこと 」に掲載した。

話は少しそれるが、ここ数年で若くして死に逝く人を何人か見てきた。昨年は義弟がガンで亡くなり、今年に入ってからも友人の弟が末期ガンだという話を聞いた。体に異常を感じ、検査を受けたら余命数ヶ月という話は少なくない。死は意識する、しないに関わらず、常に生と隣り合わせにある。自分も日一日と近づきつつある死に向かって、今日一日を生きているのだ。だからこそ、生きることをおろそかにしてはいけないし、後悔しない様な生き方を自ら選択し、まさに命がけで生きなければならないと思う。

昨年暮れに脳内出血で危篤状態に陥り、奇跡的に生還した福島大学の飯田史彦教授が著書「ツインソウル」の中で、人間の魂が死んだ後に評価されるのは次の3点においてのみだと書かれている。

十分に愛したか? 十分に学んだか? 十分に使命を果たしたか?

私はこの考え方に強い共感を覚える。

社会的(社内的)な地位も、権力も、名誉・名声も、築いた富・財産も人間の本当の価値を決めるものではないのだ。人間は何も持たずに生まれ、死んでいくときも何も持たずに死んでいく。それでいい。自分自身が納得できる、悔いの残らない生き方ができればいいではないか。家族を愛し、人生の挫折や苦境から教訓を学び、自分が果たすべき使命のために心血を注ぐ。きっと子どもたちはそんな父の生き様を理解してくれると思う。

自分のやることが直接実を結んで自分が果実を手にすることはなくても、種をまき続けることで、きっと苗木は増えていくものと信じる。小さな苗木は枯れてしまうかもしれないし、大きく育つかもしれない。私にできることは、やがて大きな森に育つことを信じて種をまき続けることである。こどもたちの世代を守るために。そのために私はこれからもHPとブログを続けていく。

個体としての私は、やがて限りある生を終え、死を迎える。残された時間の中で、私にできること、やらなければならないことは、命を次の世代につなぎ、次の世代である子どもたちが生きていける社会を残すために力を尽くすことである。

大部分の人は気にも留めないかもしれないし、レスター・ブラウン氏が提唱されるようには、破滅へと向かおうとする大きな潮流を変えることなど誰にもできないのかもしれない。それでもただ指をくわえて見ているわけには行かない。持続可能な社会への移行ができないということは、持続不可能、すなわち人類が存亡の危機を迎えるということなのだから。

愛すべき子どもたちの未来のために、自分にできることを命がけでやること。それが自分の使命だと思う。

長文を読んでくださり、ありがとうございました。

さらに1年後の2007年8月に書いたコラムはこちら ↓

★「環境と金融」HP開設6周年を迎えて (2007/8/20)

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2006/08/03

Movie「日本沈没」を観て思ったこと

日本の映画もここまでリアルな映像の世界を作れるようになった。単なる娯楽モノのCGや特撮ではなく、多くの科学者や自衛隊、消防庁などの協力を得て作られているだけに、よりリアルに感じられた。映画のストーリーにはあえて深入りしないで、自分自身にどのような影響を与えたのかを書き綴りたい。

魂を揺さぶられるように感じたのは二人の潜水艇操縦士の生き様である。愛する者のため、守るべき者のために自らの命を投げ出してまでも使命を果たそうとする姿。まさに天命のために自分の命を使う姿である。

自分がブログやHPを通じて情報発信を行っているのはなぜか、ということを考えたときに、それが自分にとっての天命・使命だからなのではないかと思う。自分を突き動かす衝動のエネルギーの根源は、愛する者たち、とりわけ子どもたちを守らなければという強い思いである。子どもたちを守るということは、子どもたちがこれから生きていく未来の社会を生存可能(=サステナブル)なものにするということと同義である。

こんなことを書くと妄想だと思われるかもしれないが、私はずっと昔から誰かとシンクロするような感覚になることがある。その人物は私よりもずっと年上だが、たくましく勇敢で慈悲深い人物のようだ。そして彼が伝えてくるメッセージは「私は守護する者だ」というもので、彼が自分の命を犠牲にして子どもたちの命を救おうとするイメージが浮かんでくる。私は自分がなぜこのようなイメージを何度も思い浮かべるのか不思議だったが、いま思えば、自分を導こうとするメッセージだったのかもしれない。

環境問題を深く知れば知るほど、最新のデータに基づく未来予測を見る度に、私は以前から抱いていた既視感が現実のものになりつつあることを感じる。そうなることを自分は知っているという感覚である。論理的・科学的には説明しようもないが、危機が迫っているのを強く感じるのである。それゆえに自分を突き動かす衝動も強くなっていく。

そんなことを考えながら、一年前に書いた日記を読み返してみた。

◆「環境と金融」HP開設4周年に思うこと

このときと志は何も変わらない。いや、使命感はより強まっている。ウェブサイトを続けることは自分には直接的な利益は何らもたらさず、運営する維持費がかかるばかりであるが、例え誰からも評価されなくとも、社会的な地位や名声とは無縁の活動であっても、子どもたちを守るための闘いを続けることは私が自分に与えた使命なのだと思う。

魂の奥底から聞こえてくるメッセージに共鳴して、私は明日からも前に向かって歩き続ける。

もう一つ伝えたいことは、ウェブサイトを持っているような人で、もし、私のメッセージに共鳴する人がいたら、私のサイトから情報・データをダウンロードして、ミラーサイトなり同種のサイトを作るなりの対応をして欲しい。その理由は、私がいなくなった場合のバックアップがいて欲しいからである。もし、サイトが長期間、更新されなくなったとしたら、私が死亡したか、病気で継続が出来ない状態になったということである。そのときがきたら、バトンを渡されたと思って、志を継いで私の代わりにこの活動を続けていって欲しい。未来を生きる子どもたちのために。

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2006/07/06

消される「不都合な真実」 in U.S.A.

米国で話題を呼んでいるドキュメンタリー映画「インコンビニエント・トゥルース(不都合な真実)」を見た。アル・ゴア前米副大統領が地球温暖化を警告する講演会の録画のようなものだが、温暖化の深刻さをわかりやすく伝えている。石油会社と癒着したブッシュ大統領の補佐官が科学者の報告書を勝手に書き換えていたことも暴露している。

「不都合な真実」は他にもたくさんある。ユタ大のジョセフ・ライオン教授は、ネバダ州での核実験と周辺住民の甲状腺がん発生率の関連を研究していた。03年6月に始めた第3次調査は昨年8月、政府の援助停止で中止に追い込まれた。

ライオン教授によると停止理由は「予算不足、研究手法も悪い」だった。「政府予算で行うチェルノブイリの住民健康調査と同じ手法なのに」と嘆く教授は93年、「核実験で流出した放射性物質による被ばく量が増えると甲状腺がんが増える」という報告書を発表している。さらに詳しい調査結果が出て、行政訴訟で使われるのを防ぎたいという政府の意図が見え見えだ。

核施設に勤務した労働者の被ばく量とがん死亡率の関連を研究してきたノースカロライナ大のスティーブ・ウィング教授も「過去に圧力を感じたことがある。結果によっては、次の研究費はなくなると思った」と告白した。

業界は「一定量以下の微量放射線ならがんにならない」という閾値(しきいち)論を展開してきた。だがウィング教授は「少なくとも動物実験で閾値は存在しない。原子力規制委員会が決めた労働者の年間放射線許容量は5レムだが、たとえ1レムの微量でも当たり所が悪ければ細胞を傷つけ、がん化する可能性はある。我々の研究では『これなら安全』という基準は見つからなかった」という。

米国科学アカデミーは昨年6月、初めて放射線の閾値を否定する内容の報告書を発表した。だが同じころ、原爆開発60周年を祝うテネシー州オークリッジでは、物理学者のテオドア・ロックウェルさんが「微量の放射線は免疫力を高め、体に良い」と演説し、市民から拍手を浴びていた。

ウィング教授の心配は消えない。「独立した大学の研究者に対する資金援助が削減され、政府関連研究所にだけ援助が増える傾向が強まっている」。米国では大抵何でも発言できるが、「不都合な真実」は真綿で首を絞められるように消される。

(毎日 6/26)

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2006/06/21

現代版 ノアの箱舟

◆種子貯蔵施設:永久凍土層で300万種保存へ ノルウェー
 
オスロからの報道によると、ノルウェー政府は19日、北極近くの同国領、スバルバル諸島で、永久凍土層の地中に300万種の作物の種子を保存する国際的な貯蔵施設の建設を始めた。

伝染病や自然災害などから隔離し、将来に残すことが目的で、ヨハンセン農相は「(現代版の)ノアの箱舟だ」と指摘した。

07年9月に完成し、世界各国から種の保存希望を受け付ける予定だ。施設はコンクリートなどで補強された壁に囲まれ、保存に最適な氷点下の温度を維持するなどして環境を整備した。

スバルバル諸島はノルウェー本土から約500キロ北方に位置。気温が低いことに加え、自然災害が少ないなどの環境から選定された。

こうした世界規模の種貯蔵施設の構想は80年代からあったが、種の所有権などの問題が実現の障害になっていた。ノルウェー政府は種を持ち込んだ国の所有権を認める方針だ。(ロンドン共同)

(毎日 6/20)

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2006/03/11

ブログ 1周年 記事1700件

いつの間にかブログを開設してから1年が過ぎ、アップ(紹介)してきた記事が1700件になった。

過去ブログに遡ってまで見る人は珍しいと思うが、カテゴリー別に見てみると面白いかもしれない。もともと他者に見られることよりは、自分のための情報ライブラリーとして作ったものであるので、それでいいのかなと思う。

但し、検索機能があるのはココログ(http://csrfinance.cocolog-nifty.com/mirai/)の方だけで、ミラー・ブログのmixiの方は時系列でしか見れない。

追加したカテゴリーは以下の通り。

◆人類・人間・生物 ◆出産・育児・子育て・教育 ◆医学・医療・健康・病気 ◆地球環境問題 ◆地震・災害・防災・安全 ◆持続可能な社会 ◆犯罪・治安・防犯・戦争 ◆環境・CSRと金融 ◆生き方・人道・規範・倫理 ◆社会的不平等・貧富の格差 ◆CSR・企業のあるべき姿

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2006/02/05

少子高齢化は「寝室」が原因?!

天野 彰(あまの・あきら)氏のコラム。なかなか面白い。

http://www.asahi.com/housing/amano/TKY200602050074.html

(朝日 2/5)

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2006/01/22

パキスタン 極寒で凍える人々

TBSの報道特集「パキスタン地震被災地 必死の極寒レポ!」を見た。

地震後3ヶ月を経てなお手付かずの廃墟、水浸しのテントの中で凍えながら暮らす人々。200万を超える被災者たち。

今年は日本でも雪害がひどいが、少なくとも日本人には住む家も安全な飲み水も暖を取る燃料もある。餓死したとか凍死したというニュースはない。

パキスタンではマイナス10℃の中で飢えと寒さに苦しみ、体力の弱い人たち、多くの乳幼児が死の危険にさらされている。国際支援も多くの地域には届かない。人々が死んでいくことはニュースにもならない。

日本がもし大規模な地震に襲われ、数百万人が被災したら、国際社会は日本に助けの手を差し伸べてくれるだろうか。世界の多数の人々よりも贅沢な暮らしをしている「金持ち」日本人が困ったからといって、もっと困難な貧しい暮らしをしている人々が助けようという気持ちになるとは到底思えない。

世界の貧困や困難を抱えた多くの地域に対して、自分たちの贅沢な生活・消費行動を改めることなく、援助の手を差し伸べることをしないで来た多くの日本人に、自分たちが被災者となったときに助けを求める資格などない。

人間としての徳を積んで生きることができないのならば、せめて自分たちの命と生活の安全は自分たちで守るという意識は最低限持つべきモラルである。それでも、日本人は「尊敬される国民」には程遠い。

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2005/12/09

16分で300億円の損失

1500人の従業員が1年間かけて散々苦労して稼ぐだけの利益がたった16分でふっ飛んだ。

300億の損失の相手方で利益を得たのは一部特定の投資家である。それだけの利益を放棄するならばより多くの顧客に還元する方がどれだけ有益なことだろうか。たった1回のオペミスをスルーしてしまうシステムもお粗末なものだ。日本を代表する金融グループの名が泣く失態である。

また、これに乗じて稼いだデイ・トレーダーも多いことだろうが、今回のことは単なるまぐれ当たりの出来事である。多くの投資家が利益を稼げるのも、現在の株式相場全体が上昇基調であるが故である。浮利を追うものは、やがて泣きを見ることだろう。長期的な視点で投資する健全な投資家が増えることを望む。

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2005/12/06

人間の命の値段

報道ステーションで多臓器移植のために1億3千万円の募金が集まったという特集を放映していた。

人の命をお金に換算するということについては賛否両論があるだろうが、生死の境目をいくらのお金で左右されたかを見れば、人の命がお金に置き換えられるというのは厳然たる事実である。

アフリカでは白人1人の命の値段は黒人20000人の命の値段に等しいといわれている。人間の命の値段は平等ではないのだ。目を背けたくても直視せざるを得ない、突きつけられた現実である。

生死に関わることではなくても、人身売買という形で生殺与奪権と人間の尊厳はお金に換算されて取引されている。人種、性別、年齢、容姿、等々によって人間の値段は違う。

1億3千万円のお金を使うことによって、日本の特定の子ども1人とその他の子ども100人を救うことができるとすればどちらを選択すべきだろうか。アジアやアフリカの数十万人の子どもの命を救うことができるとすればどちらを選択すべきだろうか。

発展途上国の貧しい人々も親がわが子のことを思う気持ちは日本人となんら変わらない。そしてわずか年百円か何千円かのお金がないばかりに救えない命が何百万、何千万とあるのである。

「人の命の値段は平等である」と考えるのならば、人間としてどういう選択をすべきなのか考えてみてはどうだろうか。

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2005/11/14

経済発展が生み出す貧富の差

ロシアは原油輸出国である。原油価格の高騰により経済は潤っている。しかし多くの国民がその恩恵にあずかれるわけではない。オイル・マネーの大部分は一部の金持ちの下へ流れていく。

ロシアには1億4500万人の人々が暮らしている。その中でたった100人の金持ちが資産の4分の1を持っているとNHKのニュースでいっていた。1人の金持ちが35万人分の資産を独り占めしているのである。人口35万人の国の王様が国のすべての財産を独占して、民を飢えさせているようなものである。

このような現象は世界の各地で起きている。中国でもアフリカでも世界中のどこでも。すべて人間のなせる業である。

人間の限りない欲望と(一部の金持ちが)それを満たすことを可能にする経済システムが数限りない貧困を生み出し、多くの悲惨な状況を生み出している。「自由」とは収奪の自由か。それとも独占の自由か。貧困の中で生きる人々には明日を生きる「自由」すらないかもしれないのに。

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2005/11/01

「火垂るの墓」を観て思ったこと

日本テレビ系終戦60年記念ドラマ「火垂るの墓」を観た。アニメ版のほのぼのとした感じはなく、ただリアルでせつなかった。

60年前の日本の現実。戦争の非情さを見せ付けられた。守りたい者を守ることができない現実。すべてを守ることができないから、切り捨てるという決断をしなければならないという過酷さ。

平和な社会で生きていられることのありがたさをひしひしと感じた自分は日本のことしか考えていない。パキスタンでは今も300万人の人々が住む家もなく、十分な食べ物もなく、寒さに凍えている。アフリカでもインドでも中国でも何億という人々が貧困に苦しんでいる。それらを意識していないのは、それらの現実から目を背けているだけ。

人間はなぜより多くの人が不幸にならずに済む社会を作ることができないのだろうか。なぜ人から奪ってまで自分の取り分を増やそうとするのだろうか。生きるか死ぬかの状況ならばしかたがないと思う。それは他の動物でも同じことだから。

動物たちは自分が生きていけるだけ食べられればそれ以上を求めはしない。しかし、人間の欲望は限りなく、自分が食べる分の何万倍あるいはそれ以上のものをも欲求し、あろうことかそれを自分だけのものにしようとする。人間のエゴはなぜかくにも強いのだろう。DNAが近い種族であるはずの猿は分け合うということができるのに。

人間以外の他の生き物は地球という限られた環境を与件として、その環境に適応することによって生きている。そういう意味では地球環境に調和して生きる存在である。

しかし、人間は環境に影響を及ぼし、環境を変え(悪化させ)ながら生きている。人間だけは地球環境と調和していない。また、生きるためにやむを得ない状況でもないのに、これだけ同じ種族で殺しあう動物も他には例がない。人間という生き物は地球上に生きる他の生き物とは違う存在なのかもしれない。

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2005/10/31

妻失った人の話し相手に

自分と同じ境遇 元気づけたい
 
昼食を終えた最後の客を送り出す。台所でひとり、皿を洗っていると涙があふれてきた。

喫茶店「茶房じゅん」のマスター池田宏さん(62)(東京都墨田区)は昨年2月、35年連れ添った1歳下の和子さんを大腸がんで失った。それからしばらくの間は毎日そんな繰り返しだった。

病名がわかってからの約1年間、妻はぎりぎりまで入院を拒み、2階の自宅で食事療法を続けた。1か月の入院生活の末、「ありがとう」と言い残して息を引き取った。

池田さんは葬儀を済ませてすぐに店を開けた。独立した2人の娘や、趣味の登山仲間たちが励ましてくれたが、力が入らず、食事をしても味を感じなかった。

「よく話すことがあるね、と娘たちがあきれるほど、女房とは一日中話をしていました。店内のどこを見ても、思い出ばかりなんです」

半年余りが過ぎたころ、配偶者を亡くした人たちの会があることを知った。さっそく電話で問い合わせて会合に参加し、会員たちの話に耳を傾けた。「あの時こうしていればと、今も後悔ばかり」「周りのすべてに腹が立った」――。自分と同じ境遇の人がいることを知った時、初めて肩の力が抜けた。自らも口を開くと、さらに気持ちが晴れていく気がした。

推されて今月、会の理事に就いた。苦しみを和らげてくれたことへの恩返しができればという気持ちからだった。

大相撲・高砂部屋の隣にあり、力士たちもよく立ち寄る店は、日曜と祝日以外は休めないため、理事として何ができるかはわからない。「コーヒーを飲みに来てくださるのは大歓迎。仕事の合間に、同じ境遇の方の話し相手になれれば」

☆☆☆

中高年世代に限らず、だれでもいずれひとりになる時が来る。その時、孤立せず、いかに自立して生きていくか。

「『自立』というのは、『ひとりで生きていく』ことではない。特に、現代のように複雑になった社会の中で『ひとりで生きていく』のは不可能だ。人は、多くの人たちとのかかわりの中で生きていくもの」と茨城キリスト教大教授の森謙二さん(法社会学)は指摘する。

ひとりになっても、いたずらに悲観的にならず、自分に何ができるかを考えたい。定年後であれば、かつての職場のつながり以外の新たな人間関係を築きたい。それは趣味の仲間、ボランティア仲間、どんな関係であっても構わない。様々な交流を続けながら、その中で個人が自分の力を発揮していると実感できれば、「生涯自立」への一歩になるのではないだろうか。

池田さんが参加した「ほほえみネットワーク」(東京、電話03・5261・1237、ファクス03・5261・1207)は、体験を話し合う会やグループカウンセリングなどを行っている。「生と死を考える会」(同、電話03・5361・8719、ファクス03・5361・8792)も、身近な人を亡くした人が集い、気持ちを分かち合う会を開いている。

(読売 10/29)

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2005/10/21

新潟中越地震から1年

NHKの特集番組を観た。

地震から1年が経っても道路の8割が復旧せず、自宅再建の目処が立たない多くの人たち。いまも多くの人が仮設住宅に住んでいる。ふるさとを棄てざるを得ない人々の声には悲痛なものがある。

それでも仮設住宅に住み、移転先が見つかるのはまだましな方かもしれない。新潟中越地震で被害に遭った人々の住む地域は人口密度の低い(土地に余裕のある)エリアであった、だからこそあれだけの被害で済んでいるということを認識しなければならない。もし、これが人口密度の高い(土地に余裕のない)都市部で起きていたらどれだけの被害になることか。

首都圏でM7クラス直下型の地震が起これば焼失・倒壊家屋数は数十万戸、数百万人の被災者が出るにもかかわらず、それだけの人々を収容する仮設住宅を造る土地は見つからないし、予算もつかないだろう。空前絶後の大災害になることは間違いない。それなのに多くの人はあまりにも無関心・無防備で自衛の策を講じようとしない。いざとなったらどうしようもないと諦めているのだろうか。それとも誰かが助けてくれると勝手に思い込んでいるのだろうか。

自ら助かる努力をしないものは助からない。それが現実である。生きたければ目を覚ませ。

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2005/10/11

杉原千畝という生き方

組織決定に逆らうということは組織人としては命取りである。社会的な地位をすべて失うことになることをも覚悟して自らの意思を貫き通した杉原千畝という生き方には感動を禁じえない。人間の命の重みを知り、人の命を救おうとする人を私は尊敬する。

杉原千畝 生誕100年記念事業
http://www.chiunesugihara100.com/j-top.htm

杉原千畝記念館
http://www.town.yaotsu.gifu.jp/spot/sugihara/sugihara.html

杉原千畝と命のビザの物語
http://10e.org/flashchiune/chiune.htm

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2005/10/10

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ

TVの特別番組「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」を観た。

限りある命を生きるということについて考えさせられた。

人は必ず死ぬ。人によってはそれが何十年先であるかもしれないし、一年、あるいはひと月後かもしれない。

私が死ぬときには何人の人が泣いてくれるだろうか。私は死ぬまでの間に何を残すことができるだろうか。

限られた命だからこそ、どのように生きるのかということを考え、後悔しない生き方をしなければならない。

いま生きていられるということに対する感謝の気持ちを忘れず、「生きる」ということの意味を考えながら、自分にできることを精一杯やっていかなければと思う。

この命は天から与えられたもの。支えてくれる家族とともにいられることに感謝します。そして、今日一日を生きられたことに感謝します。

文化庁芸術祭参加作品 飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ
http://www.fujitv.co.jp/tokuhen/05aut_sp/b_hp/asuka.html

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ
―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記
祥伝社黄金文庫 井村 和清 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396312946/250-3379459-6149809

飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ(1982)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17142/

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2005/10/09

アフリカと世界と日本

NHKのETV特集「アフリカと世界と日本と」を観た。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2005/1008.html

ナイジェリアの石油資源を食い物にする欧米の企業、石油資源の輸出によって得た収入を自分の懐に入れる汚職まみれの政治家たち。電気も水道もガスも学校も病院もない環境で暮らし続けるたくさんの貧しい人々。

開発援助という言葉があるが、世銀・IMFを通じてお金を貸して、欧米の企業にビジネスを提供する形で開発事業を推進することが、一体どれほど現地に住む一般の人々(⇔利権を得る一部の特権階級)の生活を向上させることにつながったのか、甚だ疑問である。豊かになったのは欧米企業と一部の汚職政治家や特権階級だけではないのか。

スーダンのダルフール紛争の話。政府はその関与を認めてはいないが、状況証拠からいって政府の意向をバックにした民兵組織による黒人部族への大量虐殺としか思われない。被害に遭っている部族の長がこういっている。

「政府はダルフールの黒人を無視し続けてきた。そのあげくジャンジャウィードを使って攻撃してくる。家を焼かれ、娘が辱められ、男たちは殺された。あなたなら黙っていられますか。」

産油国であるスーダンの石油資源に対する利権を失いたくないため、先進国の国際協調介入も及び腰になっている。AU(アフリカ連合)が平和維持活動にあたろうとしているのが救いではあるが、それでも大量虐殺は続いている。村を焼き払い、皆殺しにするという非道が今もなお行われている。国連は介入しなければならなくなることを回避するため大量虐殺であることを認定せずに静観を決め込んでいる。ルワンダで大量虐殺が行われたときも国際社会は救いの手を差し伸べなかった。

シエラレオネの内戦はダイヤモンド資源の利権をめぐる争いが元になっているが、大量に流れ込んで来る武器と共に「子ども兵」が安価に手に入る戦力として動員されている。ウガンダでは子どもたちが誘拐され、洗脳され、自分たちの親さえも殺すように強いられる。紛争が起こる地域で踏みにじられる人間としての尊厳と命。

アフリカのみならず、世界中で紛争が起こる可能性は今後ますます高まっていく。世界各地で紛争が起これば、大量虐殺の被害者の数も爆発的に増えていく。たくさんの貧しく弱い人々が殺されたり、生活の場が破壊されたりする。家が焼かれ、井戸が埋められ、男が殺され、娘が辱められ、子どもが誘拐され、孤児たちが生まれる。

南アフリカではエイズ患者が530万人に上り、大量のエイズ孤児が生まれている。貧しい人々はバラックのような家に住み、6人に1人がエイズに感染している。エイズ治療薬は高額な(特許料を含む)ため貧しい人々は手に入れることができない。アメリカや日本は特許の保護を主張し、国は欧米の製薬会社の利権に配慮して安価なコピー薬を輸入しようとはしない。お金を持たない者は見捨てられる。命はお金よりも軽いのが現実である。

グローバリゼーションに対するツツ大司教の言葉。

「グローバル化の問題点は、強い者がゲームのルールを決めてしまう傾向にあることです。そのルールは豊かな者の味方で、貧しい者の味方ではありません。世界は家族のように一つにならなければなりません。それがグローバル化の本当の意味だと思います。ですから悪事を続ける者には勇気を持って忠告するべきです。あまり勝手なことをしているといずれ報いを受けるということを。」

国際開発援助は汚職の温床といわれ、アフリカの国々はジニ係数(所得階層上位20%が国富の何%を所有するか)が非常に高い。アフリカ諸国への債務免除は結局、援助でお金を手にした特権階級の債務を帳消しにするというだけで、貧しい人々の暮らしを楽にするわけではない。日本のODAはアフリカ諸国への総額を増やすだけではなく、その使い道、本当に援助を必要としている人たちのためになる方法を考え、実行していって欲しいものである。

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2005/10/06

小さな村の大きな挑戦~人口増と若者定住に臨む

長野県下伊那郡下條村長 伊藤喜平

下條村は長野県の最南端下伊那郡のほぼ中央に位置する人口約4200人の小さな村であります。主な産業は、水稲、果樹、菌茸などの農業ですが、兼業農家がほとんどで飯田市などに勤める人が多くなっております。

このような何も無い小さな村ですけれども、合計特殊出生率が1.97人(国は1.36人)、0才から14才までの若年人口比率が17.3%で、いずれも長野県第1位であることなどが注目され、この6月にテレビの特集番組で福祉大国スウェーデンと共に自治体として唯一下條村の取組が紹介されました。

私が村長に就任したのは平成4年。バブル景気が冷め遣らぬ頃でしたが、村の人口は櫛の歯が抜け落ちるように減っておりました。地域にとって、また、地域の企業にとっても人口が減少する、特に若者が減っていくというこ
とは致命傷であります。なんとしても若者が定住する村づくりをしなくてはと思い突き進んでまいりました。

まず取り組んだのが役場の職員の意識改革。いわゆるお役所仕事といわれ、スローモーな仕事ぶりの一掃です。厳しい民間企業へ職員全員研修に出しました。意識が変わると職員はそんなにいりません。最大59人いた職員が今では37人。類似団体の56%くらいの人数です。

職員の意識が変わると、村民も意識が変わってきます。簡単な道路の舗装や修繕、井水の修繕などは役場から生コンクリートなどの材料を支給するだけで後はそれぞれの地区の皆さんが自ら出役して工事を行っています。

下水道も合併処理浄化槽1本でおこないました。これも村の財政の健全化に大きく寄与しております。財政の健全度を示す起債制限比率は1.4%と連続3年県下トップを続けています。

こうした取組により財政的にゆとりが生まれ、若者定住対策として、若者定住促進住宅を平成16年度までに8棟(100戸)建設しました。家賃は2LDK(63.58平方メートル)で3万6千円。民間アパートの約半額です。

また子育て支援対策として、中学生までの医療費を無料化しました。

若者に定着してもらうには、どうしても文化的な魅力をもった村づくりをしなくてはと、村立図書館、医療福祉保健総合健康センター、本格的文化ホールの建設など、小さな村にはちょっと贅沢だと思う施設を整備しました。

小さな村だからこそ、真の地域のコミュニティが保たれ、共通の目的に向かって全住民が額に汗し地域を支えて頑張ることができると思っております。

※ 執筆者の紹介
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2005/simojo.html

※ 首相官邸ホームページ(少子化対策)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/syousi/syousika.html

(首相官邸ML)

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2005/10/02

お金は社会を変えられるのに

30秒に1人の子どもの命が失われているアフリカへマラリア防止の蚊帳(@720円)を送ろうという運動をする人たちがあると思えば、たった一人の人間が自身の欲望を満たすために宇宙旅行に2260000000円ものお金を使う。社会経済原理に基づいていえば「自分のお金を自分のために使って何が悪い」ということになるのだが、もし、この実業家がアフリカに蚊帳を送るという選択をしていたら、約300万もの蚊帳を送ることができる。たった一人の人間のエゴのために何十万、何百万もの命が危機にさらされる。それが現代社会の現実である。

◆牧瀬里穂:マラリア撲滅チャリティー

女優の牧瀬里穂(33)が1日、東京・日比谷公園小音楽堂で開催されたチャリティーオークションに参加した。外務省や国際協力機構(JICA)などが共催する「グローバルフェスタJAPAN2005」の親善大使としての登場で、マラリア撲滅のためアフリカに蚊帳を送るのが目的。「アフリカの実情を知る機会にもなってほしい」とアピールした。

津波被害からの復興を支援しようと9月からモルディブ親善大使の大役も担うなど、慈善活動にも積極的な牧瀬。この日も、交際中のブランドプロデューサーNIGO氏(34)がデザインした特製Tシャツを自ら出品。アツアツぶりを感じさせながら「蚊帳1つの値段は720円。アフリカでは30秒に1人の子供の命が失われています。1つでも多くの蚊帳を送り、多くの人の命を救えれば」と真剣な表情で訴えた。

(毎日 10/2)

◆3人目の宇宙観光客の打ち上げに成功、米実業家

カザフスタン・バイコヌール――宇宙観光客としては3人目となる米国の実業家、グレゴリー・オルセンさん(60)と米国、ロシアの飛行士の計3人が搭乗するロシアのソユーズロケットが10月1日午前(日本時間同午後)、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。国際宇宙ステーションには2日後に到着予定。

ロシア宇宙庁によると、発射から約9分後に予定の軌道に到達。3段階に分けたロケットの分離も成功した。乗組員3人は体調などに問題はないと報告してきている。

米ニュージャージー州で赤外線カメラなどを製造する企業を経営するオルセンさんは、旅費の推定2000万ドル(約22億6000万円)を、米国の旅行会社スペースアドベンチャーズを通じてロシア宇宙庁に支払った。10月11日に、今年4月からステーションに滞在していた米ロの飛行士と共に、地球に帰還する。

宇宙飛行をこれまで体験した民間人は、2001年の米国の実業家デニス・チトーさんと、02年の南アフリカの実業家マーク・シャトルワースさんの2人。オルセンさんは30日に会見し、宇宙観光は宇宙の商業化につながるのではとの質問に、宇宙飛行は進化の過程にあると主張。「今では誰もが飛行機を操縦している。同じ事は宇宙飛行にもつながるだろう」と述べた。

また、「宇宙飛行の参加者」と呼んで欲しいとも望んだ。

ロケットは29日に発射台に据えられた。燃料の注入は30日の予定。ロシア宇宙庁によると、乗り込む3人は29日、医師の診断を受け、飛行計画の最終確認などの作業をこなした。

(CNN 10/2)

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2005/09/25

「豊かさ」とは何だろう

日本は豊かな国である。そういわれて異論を唱える人は少ないと思う。しかし、あえて立ち止まって考えてみたい。国、社会、その中で暮らす人々の豊かさとは何だろう?お金を持っていることか?平均寿命が長いことか?

「豊かさ」とは一体、何を表す言葉なのだろうか。

◆日本の豊かさ、OECD加盟30か国中で10位
 
社会経済生産性本部がまとめた2005年版「国民の豊かさの国際比較」によると、日本は経済協力開発機構(OECD)に加盟する30か国中、総合順位で10位となり、前年調査よりも四つランクを上げた。

項目別では、国民1人あたりの二酸化炭素(C(O2))排出量などを比較した「環境」が4位、平均寿命などを比べた「健康」が8位と上位だった。

しかし、個別指標では、国民1人あたりの政府累積債務が最下位だった。

国別の総合順位のトップはルクセンブルク、2位はノルウェー、米国は12位だった。

(読売 9/25)

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2005/09/24

「心の病気」見逃さないで

集中治療室の看護師と、自殺未遂患者の心のケアについて話す堤さん(左、北里大病院で) あの時は、死ぬことしか考えられなかった。神奈川県の主婦B子さん(44)は今、「心の病気だった」と思う。

10数年前、夫の母親の介護に疲れ、次第に気力がなくなっていた。夜は眠れない。朝、目が覚めると「ああ、また嫌な朝が来た」と憂うつになり、起きられない。食欲もなく、何もやりたくない。

そのうち、「私なんて、いてもいなくても同じ」「楽になりたい」と思い、死ぬ方法ばかりを考えるようになった。

ある朝、死を決意し、医師の夫が出勤した後、義母用に保管していた睡眠薬と精神安定剤を大量に飲んだ。夕方、帰宅した夫が見つけ、自宅で点滴を受けた。

1か月後、再び薬を大量に服用。救急車で北里大病院(同県相模原市)の救命救急センターに運ばれ、胃の洗浄を受けて救命された。

退院後、同センターの精神科医、堤邦彦さんの外来を受診。開口1番、「よく頑張ったね」とかけられた言葉が、胸に深く響いた。自分は怠け者でどうしようもない人間、と思い続けていたからだ。

診断は「うつ病」。堤さんの外来に通院し、抗うつ薬をきちんと服用、徐々に回復し、今ではすっかり元気になった。

自分を責め、直面する問題の解決法として死ぬことばかりを考える。堤さんは、「自殺を考える人には、何らかの異常心理が働いている」とし、「『自殺は病気』という認識をもっと持った方がいい」と訴える。

B子さん自身、「死を考えていた時、夫に悩みを相談しようとか、夫や友人が悲しむだろうという当たり前のことは、まったく思い浮かばなかった。明らかに異常でした」と振り返る。

自殺者の約9割が、うつ病を始め、薬物依存、統合失調症など、何らかの精神科の診断に当てはまる、という欧米の報告もある。死へ向かう思考が病気の結果なら、逆に病気が良くなれば、新たな姿勢で現実に立ち向かうことができる。

「すべての自殺を治療によって防げるとは思わないが、減らすことはできるはず」と堤さん。周りの人は、うつ病のサインを見つけたら、精神科医など専門家の受診を勧めたい。最近の国内の調査では、うつ病経験者の4人に1人しか治療を受けていない。

そのほか、家族や友人の温かい支えも重要だ。B子さんには、「最低限の家事だけやれば、後は好きにしていいよ」と言ってくれる夫や、いつも歓迎してくれた教会の友人たちがいた。「多くの人たちに支えられたおかげ」と感謝する。

【うつ病のサイン】

◆自分で感じる症状 憂うつ、気分が重い・沈む、悲しい、イライラする、好きなこともやりたくない、眠れない、自分を責める

◆周りから見て分かる症状表情が暗い、涙もろい、反応が遅い、落ち着きがない、飲酒量が増える

◆体に出る症状 食欲がない、便秘がち、体がだるい、疲れやすい

(自殺防止対策有識者懇談会「自殺予防に向けての提言」より抜粋)

(読売 2004年10月21日)

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2005/09/22

子どもたちこそが守るべき未来

息子の通う幼稚園の同じ組のお友達が亡くなりました。まだ、3歳のちいさな命が消えてしまいました。

先天性の心臓病だったとのこと。ご両親の気持ちを思うと沈痛な気分になります。子どもに先立たれるのは不幸なことです。子どもの成長を見守ることこそが親の幸せなのに。

生まれながらに病気を持っている子どもたちはたくさんいます。そういう子どもたち、せめて18歳まではどんな子にも精一杯生きられるようにサポートしていくのが社会保障制度の役割ではないでしょうか。

先日のニュース番組でホテル並みの豪華老人ホーム(シルバービジネス)の紹介がありました。日本の金融資産の7割は65歳以上の高齢者が持ち、社会保障支出の7割以上が高齢者のために使われています。それに対して児童手当を含めた少子化関連の予算はわずか「3.8%」。

豊かな老人たちの贅沢な暮らしを支えるために、子どもたちと子育てをしている世代が犠牲になっています。

子どもたちこそが守るべき未来であるのに。

国の借金は未来の世代への負担になります。未来の世代からの収奪によって現在の世代が豊かさを享受しているのです。孫の世代からの収奪によって豊かになっている高齢者世代は国債を買い、その権利を放棄することによって、孫の世代から奪った富を返すべきではないかと思います。

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2005/09/11

さらばISO14001審査員(補)

ISO14001審査員研修に参加したのは1999年3月だった。

そしてその年の内に審査員(補)の登録を済ませた。以降、6年にわたり資格の維持をしながら、それを生かす仕事に就けないかを模索してきた。一番は社内で環境関連の部署が新設されることを待ちつつ、そこで働ける可能性に期待をかけた。人事面接でも希望は伝え続けてきたが、聞き入れられることはなかった。(というよりは「君、何言ってるの?」という反応だった)

競合他社の東京三菱銀行では環境融資室が新設され、今後3年間で1000億円規模の融資を実施するための資金枠「環境ファンド」も創設された。自分がその必要性を訴え続けてきたことが他社で実現するということは、うれしくもあり、その中に自分がいないということは非情に残念でもある。

これまでISO14001審査員(補)の資格維持のために約40万円の投資をしてきたが、財政的にこれ以上の負担を続けることはきつい。見切りをつけるときがきたようである。

6年数ヶ月前に心に抱いた熱い志も、会社の厚くて高い氷壁を崩すことはできず、潰えようとしている。

残念ながら、私にできることはHPとブログの運営くらいしか残されてはいない。

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2005/08/24

「環境と金融」HP開設4周年に思うこと

「環境と金融」HPを開設してから4年が経った。

自分がこのテーマで発言をし始めたのは1999年の4月だったが、ほんのわずかの興味を持ってくれる人を除いては、ほとんど相手にされなかった。当時は金融機関という組織の内部での提案活動だったが、人事部から「仕事やってるのか」とお叱りを受けるほど受け入れられないテーマだった。

組織内での活動継続が無理と判断してからは、日経ECO21やアイソスに企画を持ち込んだり、環境系NPOの活動を手伝ったり、グッドバンカー社や環境省を訪問して金融の環境問題への取り組みの必要性を語ったりしていた。2001年8月にHPを開設してから1~2年は「環境と金融」というキーワードで検索しても半分くらいは自分のHPがヒットするくらい世の中の認知度は低く、関連する情報も少なかった。

そのHPも累計アクセス件数は16000件を超え、世の中にも金融と環境を結びつける情報がたくさんあふれるようになった。最近では1日に20~30件のアクセスがある。それでもたったの30件なのである。12700万人いる人口のうち400万人に1人しか見に来る人(=興味を持つ人)がいないというのが2005年8月の姿である。

社会を変えるには金融か変わらなければならない。しかし、社会のニーズがなくては金融が変わることはない。エコ・ファンドやSRIファンドが買われるようになったといっても、残高は日本の金融資産のうちのほんのわずかな割合でしかない。つまり社会自体に「変わろうとする自律的な意思」がまだまだ足りないということだ。

日本の社会のみならず世界で起こっている事柄を見ても、経済原理に基づく大きな潮流が変わる徴候は見られない。残念ながら流れが加速しているように思われる。未だに社会の価値観は経済成長であり、富を産み出すことにある。地球という限られた環境の中では限りない成長などあり得ないというのに。未来の社会が大規模な崩壊を回避できなくなるとわかっても、人間という生き物は臨界点まで突き進んでいくものなのかもしれない。

人間社会が成長の限界点を超えるまでおそらくあと15年~25年だろう。そのときまで生きているであろう自分がその現実から目をそらすわけには行かない。次の世代に何を残せるのか、どんな社会を引き継ぐのか、このテーマから逃げることはできない。

自分ひとりで社会全体を変えることは不可能である。しかし、同じように問題意識を持ち、自分も何かをしなければならないのだと思う人が増えれば増えるほど、未来には希望が生まれる。このまま何もしなければ漆黒の闇の中に飲み込まれていく。しかし、ひとりが行動を起こせば1本のろうそくに火が灯る。たくさんのろうそくが灯るようになれば、その分だけ希望が生まれる。

たった1本のろうそくであっても消してはならないのである。なぜなら、そのろうそくの名は「希望」だから。

子どもたちのために未来を守ろう。未来そのものである子どもたちを守ろう。

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2005/08/21

ウォーター・クライシス2

NHKスペシャル「ウォーター・クライシス」(2/2)-枯れ果てる大地-が放映された。

昨日は飲み水の話だったが、今日は農業用水の不足の問題を取り上げていた。

地球上にわずかしかない淡水の用途の70%を占める農業。世界第2位の人口が暮らすインドで農業用水が枯渇しつつあるという話。インドの農業では大量の地下水のくみ上げによる農業生産の拡大によって人口の増加を支えてきた。地下水には限りがあり、汲み上げればいつかは水源は枯渇する。インドでは次々と井戸が枯れ始め、競うように新しい井戸をより深く掘り進めている。現在は食糧自給率100%を達成しているインド。しかし、今後、水不足により大量の人々が食糧不足に見舞われる日がやってくる。それも状況は年々悪化していく。

中国やアメリカでは農業用水の多くを河川からの灌漑に頼っているが、近年は取水過剰による断流が起こっている。アメリカ国内でも都市と農業地帯での水の奪い合いが起きている。都市の生活を支えるためには農業用水を減らすしかない。しかし、農業用水を減らせば農業生産は減少し、やがては都市を養う食糧の供給にも影響が出るようになる。

サステナブルな農業とはその土地の気候や土壌に適した方法によって行われる農業である。ところが、実際には過剰な灌漑用水や地下水の利用(無理な農地拡大・森林の伐採・地下水の汲み上げ等)によって過剰生産が行われている。そして、その結果として次の世代に受け継ぐべき水を使ってしまっている。現在の持続不可能な方法やペースで水の利用を続けることは、人間が生きていくうえで不可欠な水が枯渇するまでの寿命を縮めていることに他ならない。

人間は地球環境が許容するだけしか生きられない。その厳然たる掟から目をそらして一時的な持続不可能な方法で農業生産を続けていけば、やがて農業も経済社会も崩壊していくしかない。

何万、何十万という人々が死ぬような事態といっても、今はまだ小さなほころびが表面化し始めたに過ぎない。水不足はやがて大量の飢餓を生み、やがては何百万、何千万、あるいは数億人の貧しい人々が食糧を手に入れられずに死んでいくことになる。

人間が生き延びていくためには循環する水を味方につけるしかない。農業も環境の輪の一部として営まなければ持続可能なものとは成り得ない。問題を解決するのは「お金」ではなく、自然の恵みの元で環境に順応する形で、地域の住民の地道な取組みによる農業を推し進めることである。


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2005/08/20

ウォーター・クライシス

NHKスペシャル「ウォーター・クライシス」(1/2)が放映された。

水道水の共有を私企業が行うことにより、インフラ整備にかかるコストが水道料金の値上げに転嫁され、それに耐えられない貧困層が安全な水を手に入れることができないという実態が紹介されていた。(マニラ)

水は企業のものなのか、それとも住民のものなのか。

「水は商品ではなく、人間の権利である。」「自分たちの水をコントロールできなくなるということは生命の危機なんです。」という言葉が胸に響いた。(米国)

私企業は利益を上げることを目的として事業を行う。顧客(住民)の利益ではなく、利益のために行動する。結果として利益につながらない住民はサービス対象からは除外され、水を手に入れられない犠牲者となる。

水道事業はビジネスではなく公営企業であるべき、という考え方に共感を覚える。英国のNPOが水道事業を担っている事例を見て、人間社会も捨てたものではないなと思った。

しかしながら、時代の潮流としては水道事業のインフラ整備という事業から利益を上げようとするグローバル水企業と、その水企業に水の使用権をコントロールされて、いわば生殺与奪の権利を握られてしまう何百万、何千万という数の住民たち、という構図が拡がっていくという潮流はより確かなものになっていくように思われる。

大勢の住民たちが犠牲になるにもかかわらず、水企業とそれに融資する銀行だけは利益を手にする。

(安全で衛生的な)空気と水は本来タダで手に入るべきものではないだろうか。水を商品化(=利益・金)にすることには抵抗を覚える。私企業が人の生命を奪う権利を持つことは許されるべきではないと思う。

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2005/08/13

戦争 人間の愚かなる行為

終戦60周年番組がいくつも放映されている。

それがどんな大義名分に基づいて行われたとしても、戦争とは殺戮・破壊行為である。大量の物資を投入し、大量の兵器を持って、大規模・組織的に行われるテロ行為と同義である。

第二次世界大戦後も世界の多くの国・地域で戦争・内戦・紛争・大量虐殺が起こっている。人間とは利害の対立などの問題が生じたときには往々にして暴力的な手段を持って解決を図ろうとする生き物と言わざるを得ない。

60年の歳月が流れ、時代は人間同士の戦いではなく、地球環境との戦いに取り組まなければ、人間社会の存続が確保できない状況になっているというのに、人間は未だ進むべき方向の舵を切ることができないでいる。

人間社会の地球環境への適応を、長年にわたり培ってきた智恵や技術や仕組みによってできないというのであれば、現在の人間社会の進む先にあるのはどのような未来になるのだろうか。

地球のなおし方
デニス・メドウズ (著), 枝廣 淳子 (著), ドネラ・H.メドウズ (著)

成長の限界 人類の選択
デニス・メドウズ (著), 枝廣 淳子 (翻訳)

自分の子どもが親になる時代に、人間社会がサステナブルなものになることを願う。どうか手遅れになる前に。

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2005/08/11

人間社会の光と闇

NHKスペシャル「そして日本は焦土となった」を観た。

日本の主要66都市へのB29爆撃機による絨毯爆撃。戦闘員ではない一般市民への無差別殺戮。許されざる人間の行為が描き出されていた。

軍人の中にも爆撃目標は軍事関連施設に限定すべき、一般市民への無差別攻撃は行うべきではないとする「正気の人」もいた。しかし、正気は狂気に飲み込まれて流れは無差別殺戮へと向かう。

軍事や戦争に限らずとも、「悪化は良貨を駆逐する」という言葉がある。

社会をより住みやすい、より安全な、安心して子育てのできるものにして行こうという「正気」も、自己中心的で財や権力や社会的地位を志向する「狂気」に飲み込まれてしまうのだろうか。未来への「希望」という光は「絶望」という闇に飲み込まれてしまうのだろうか。

自分のためにお金をいかに儲けるかということには血眼になるのに、お金をいかに何のために使うか--社会のため、未来の世代のために何ができるか--ということに対しては、無関心な層が依然として社会の圧倒的多数を占めている。

今日のことだけを考えて生きる時代の社会はサステナブルだった。それは未来の世代からの収奪ができなかったからである。

現代社会はマネーをビルトインした経済社会を形成し、公的債務の増大という形で未来の世代に負担を背負わせようとしている。これは未来の世代からの収奪である。収奪された世代はより制約の多い条件下できびしい生活を強いられることになる。我々の世代の現在の飽くなき欲望を満たすために未来の世代は犠牲にされようとしている。

そのような現実を見つめ、警鐘を鳴らす人は多くいるが、それよりも圧倒的に多い人々の声にかき消されてしまっているように思える。我々は未来に何を残すのか。我々の生き方がいま問われている。

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2005/08/06

原爆投下は必要悪か

戦争の長期化を避けるためという理由があるにせよ、原爆のもたらす甚大な被害を考えれば、原爆の投下を正当化できるものは何もないと考える。イラク戦争では大量破壊兵器保有の懸念が開戦の理由とされたが、北朝鮮は核兵器保有を公言し、アメリカ・日本への攻撃の意思があることも公言してきている。単に状況の比較からだけいえば、核による先制攻撃が正当化されるには十分な条件がそろっている。9.11以降、危険分子は早期にたたけという風潮が広がっているが、武力による攻撃は憎悪の連鎖を生み、テロとの報復合戦は泥沼化している。世界中の国が、つまりは人類が、武力による他者の侵害という選択を放棄するならば、膨大な金額の軍事予算が殺人の道具を増やすためではなく、地球環境問題や貧困対策のために使うことを可能にすることができる。

今、人間社会のサステナビリティは環境のキャパシティの減少、劣化に伴い、ますますその可能性を低下させつつある。経済社会の進む方向性を大きく変えるには、人類の価値観を劇的に変えるくらいの環境変化が必要であると思われる。人間とは必要に迫られない限り変われない存在なのかもしれない。

広島に原爆「後悔していない」エノラ・ゲイ乗組員声明

広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」元乗組員3人が原爆投下60年を前に、「歴史のあの瞬間、原爆は必要だった。我々は後悔していない」とする共同声明をインターネット上に発表した。

声明を出したのは、エノラ・ゲイ乗組員12人のうち、生存するポール・ティベッツ元機長(90)ら3人。声明は、原爆投下がなければ、連合軍による日本の本土上陸作戦は避けられず、「日本人や連合軍の多数が犠牲となっていた」と主張している。声明は、英BBC放送など欧米メディアで報道された。

ティベッツ元機長は声明の中で、「私は、日本の退役軍人や市民からも感謝された。(原爆投下がなければ)彼らは、捨て身の本土防衛をせねばならなかったからだ」との意見を記した。

(読売 8/6)

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2005/07/06

私財なげうち「駆け込み寺」

社会が急激に変化する中で、より良い人生や社会を実現しようと挑戦し続ける人たちがいる。だが、道のりは必ずしも平坦(へいたん)ではなく、孤独な作業を余儀なくされることも少なくない。第3部「チャレンジャーたち」では、新たな生き方を求めて社会に訴え、日々奮闘する人たちを取り上げていく。

「昨晩は久々に熟睡できました。こんなこと、もう何年もなかった」。我が子からの暴力に耐え続け、身一つでやってきた50歳代の女性はこう言って笑顔を見せた。

静岡県の伊豆半島の山中に一昨年オープンした「サンガ天城」。尼僧の戸沢宗充(そうじゅう)さん(68)が私財をなげうち、2年がかりで建設した。行き場のない女性を一時的に受け入れる「現代の駆け込み寺」だ。

「おいしいご飯を食べて温泉に入り、緑の中でゆっくりと過ごす。居場所を失い、傷ついた人たちには、こういう場が必要だと思ったんです」

☆☆☆

戸沢さんは33歳の時、交通事故で夫を失った。絶望のふちに立たされながらも、幼い2人の子どものためにと、東京都大田区の実家に戻り、茶道や華道を教えたり、事務仕事に就いたりして生計を立てた。

育児が一段落したころ、これまで支えてくれた人たちに恩返ししたいと、46歳で出家。寺も檀家(だんか)も持たず、仏の教えを説いて歩いた。

尼僧の布教活動を珍しがり、全国の寺から説法会に招かれた。多い年は30~40か所を巡った。

こんな生活が約10年続いたが、「世の苦を見つめて生きたい。特に、様々な事情で厳しい生活から抜け出せないでいる女性たちの役に立ちたい」との思いが次第に強くなった。かつて、夏休みに子どもをどこにも遊びに連れて行ってやれなかった肩身の狭さもよみがえった。シングルマザーも気軽に遊びに来られる場所を――。

2001年、荒れたままになっていた企業の保養所を購入することを決めた。費用は内装代などを含め5000万円。しかし、60歳を過ぎ、定収のない独身女性に社会は厳しかった。10か所近く金融機関を回ったが、首を縦に振る所はなかった。「坊さんがやることではない」と仲間から非難もされた。

だがあきらめなかった。茶道具を売り、寄付を募り、金を作った。2年後、自宅の土地などを抵当に入れ、資金の一部を借りることができた。

「75歳になってもローンがあるのかと思うとぞっとしますが、今が人生の中で一番充実している」と戸沢さん。

☆☆☆

駆け込んでくる人を受け入れるほか、地元の人にも施設を開放し、法話会などを開催してきた。約500平方メートルの平屋には、寝具だけでなく、衣類や洗面具なども準備。季節の手料理でもてなし、訪れた人の話に耳を傾ける。

利用者からはお布施を受け取るだけ。維持費の工面など、課題は多いが、人の役に立っていることを実感できる喜びは何物にも代え難い。「むちゃをするね、と周囲から言われますが、独り身の女である私だから出来ること。多くの女性たちが、羽を休めに来てくれるとうれしいですね」

(読売 7/5)

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2005/06/28

公共施設に「十戒」掲示、米最高裁「宗教性薄ければ合憲」

米連邦最高裁は27日、公共施設に旧約聖書の「十戒」を掲示することの是非について、宗教的な目的が主の場合は違憲だが、宗教色が薄ければ合憲との判断を下した。

最高裁はこの日、(1)郡裁判所に額を掲げたケンタッキー州(2)州議会内に「十戒」の巨大な碑を設置したテキサス州――の2件について判断した。ケンタッキー州については、政教分離の原則に反すると判断。テキサス州に関しては、歴史に関する他の記念碑とともに置かれていることなどから、宗教ではなく法の歴史に敬意を示すのが目的で合憲とした。

判事9人の意見はいずれも5対4と分かれた。十戒は全米の多くの公共施設に掲示されており、各地で違憲訴訟が起きている。今回の判断は、十戒の掲示そのものは違憲ではなく、目的が中立であれば容認できるとした。最高裁が十戒の掲示について判断を下したのは、公立学校内での掲示を禁じた1980年の判決以来。十戒は旧約聖書に記載された神がモーゼに与えたとされる10の戒律で、殺人や盗みなどを禁じている。

(日経 6/28)

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2005/06/25

共働き 夫の家事貢献度は?

仕事と家庭の両立に日々追われる働くママたち。うまくやりくりするには夫婦の生活時間をチェックしてみるのもおすすめだ。仕事のほか育児や家事などにどれぐらい時間をかけているか、数字で比較できれば、夫の“貢献度”もわかるし、改善点も見つかる。互いの理解を深める機会と位置付けて試してみたい。(鳥越 恭)

「思った以上に夫の協力があると感じました」

コンピューター会社に勤務するH子さん(40)は、1日の暮らしの中で、家事や育児、家族とのかかわりのある時間が、自分は平日が3時間、土日が6時間だったのに対し、営業職の夫(47)も平日で1時間、土日は7・5時間だったと知って驚いた。

仕事と子育てを両立する女性グループ「働く母の会」が昨年実施した共働き夫婦の「生活時間調査」に協力してわかったのだが、「調査を受ける側にとっても役に立つことが多い」と実感した。

平日の半分はシッターを雇って小学4年生の娘の面倒を見てもらう。泊まりがけの出張も多く、土日も仕事を抱えるH子さんにとって、「2日に1回は夕食を作るし、休日の朝ごはんも用意してくれる」夫の支えは大きいという。

小学校教諭のM子さん(44)も「母の会」の調査を家族の役割分担の改善に役立てた。平日の家事や育児は自分が3時間していたが、高校教諭の夫(44)はゼロ。しかし、部活動の指導などで土日も不在がちな夫への理解も示し、中学3年の長男と小学6年の長女に、犬の散歩、お風呂の用意、配ぜんの準備、洗濯物の取り入れなどを分担してもらうことに。「料理に時間をかけられるようになったし、ほっとできる時間が増えました」とM子さんは振り返る。

共働き夫婦の家事・育児時間などは、総務省の「社会生活基本調査」など、行政や研究機関の調査で実態把握が進められている。同省の2001年の調査では共働き夫婦の1日の家事・育児時間の平均は夫13分、妻3時間33分だった。

こうした調査を「家庭で試してみる価値は十分にあります」と話すのは、東京都世田谷区の共働き夫婦の生活時間調査を実施した昭和女子大大学院・生活機構研究科教授の天野寛子さんだ。

「時間という一目瞭然(りょうぜん)の数字を並べてみると、今まで気づかなかったことが見えてきて、妻と夫の間で時間のやりくりを見直すきっかけにもなります。結果を基に、子どもさんも交えて家族の役割分担について話し合ってみるのもいいでしょう」と話す。

(読売 6/23)

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2005/06/20

生命の起源:宇宙での有機物生成を実験室で再現 北大

生命を形づくる有機物が宇宙で最初に生成される様子を、香内晃・北海道大低温科学研究所教授(惑星科学)らが実験室で初めて再現した。生命の起源解明につながる研究で、23日にシンガポールで開かれる国際学会で発表する。

有機物のような複雑な構造を持つ物質は、宇宙空間に分布する氷でできたちりの表面上で、水素や一酸化炭素から作られたと考えられている。しかし、ちりの周辺は温度が氷点下260~250度と極低温で、気圧も地表の1兆分の1と真空に近く、大量の有機物生成につながる化学反応は起きないのではないかとの指摘があった。

研究グループは、ちりの周辺環境に近い状態を作り出す装置を開発して検証した。装置内に一酸化炭素を含む氷を作り、それに極低温の水素原子を照射。その結果、「トンネル効果」という特殊な現象が起き、ホルムアルデヒドとメタノールの有機物が極低温でも効率よく生成された。2種類の有機物の生成量は宇宙空間で観測される量と一致し、実際と同じような現象が再現できた。

香内教授は「今後、得られた有機物から、生命活動の始まりの物質となるアミノ酸などの合成を目指したい」と話す。

(毎日 6/20)

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2005/06/02

金融商品: 損をするのは顧客だけ

以下のコラムを読めばわかるが、金融商品は確率論的には損をするようにできており、確実に儲かるのは商品を売る会社だけである。「会社の利益+得をした人の儲け=損をした人の損失」なのだから、運用を利殖と思うのは勘違いである。

長者番付から成功報酬について考える

いわゆる長者番付(全国高額納税者のリスト)で第1位になった通称「100億円部長」が話題になっている。彼はファンドマネジャーであるが、どうして100億円も稼ぐことができるのかというと、彼の運用するファンドの報酬が成功報酬型になっているからだ。

個々の顧客の契約については存じ上げないが、ヘッジファンドといわれるような運用で採用される成功報酬は「値上がりの20%」程度が一般的だ。たとえば、昨年度2000億円を運用していて、25%の運用パフォーマンスであれば、儲けが500億円なので、この20%は100億円という事で辻褄が合う。

より細かく言えば、たぶん「ハイウォーターマーク方式」と呼ばれる、過去の計算日の最高水準を更新した分に対して20%という成功報酬になっていると推測される。たとえば、ある顧客が、100億円預けたお金が、翌年120億円(1年目)、翌々年に110億円(2年目)、3年目に130億円となっていれば、2年目は前年を下回っているので成功報酬を受け取らず、3年目に120億円を基準にして、10億円増えているから、2億円の報酬を貰う、といった形式で、これもヘッジファンドでは一般的だ。

成功報酬は「儲からない場合は払わなくてもいいのだから納得できる」という声をよく聞く。しかし、儲かった場合は2割取られて、損をした場合は全額顧客の負担だから顧客にとって常に得な方法だというわけではない。あくまでも、報酬率の水準次第だ。

ファンドマネジャーの側からみると、「値上がりした場合だけそれに比例して報酬を受け取る」のだが、これは金融に詳しい人なら、「コールオプションと同じだな」と気づくだろう。オプションと同じだとすれば、幾つかの前提条件を置くことで、定率の報酬に換算した価値を計算できる。運用のリスクの大きさにもよるが、これは案外大きな数字になる(顧客にとって得でない)。もちろん、こうした計算が出来ていないでお金を任せることは、企業年金の運用などでは「論外!」だ。また、オプションの価値は、原資産(この場合ファンドの資産)のリスクを大きくすればするほど大きくなるから、ハイリスクな運用をするほどファンドマネジャーの得になる仕組みであり、危険な面がある。

長者番付の上位には、株式の配当を受け取ったオーナー経営者が数多く並んだ。そして、トップが株式のファンドマネジャー。そして、この春まで話題の中心だったライブドアの堀江社長は株式を公開した経営者だった。かつての「土地」に代わって「株式」を巡ってお金が動いている。「株式」を理解することが重要な時代なのだと思う。

(読売 6/2 コラム)

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2005/05/28

世界に誇れる日本人

お金を手に入れることばかりを考える人間が多くなってしまっている日本にも世界に誇れる日本人がいる。お金にはならないことであっても、世の中のためにすることには価値があるということを体現してくれる野口さんはすばらしい。年収100億の人の話題よりも、こういう人のことを語り伝える社会になって欲しい。

野口健さん:来春にマナスル、富士山同時清掃登山を実施

ヒマラヤ8000メートル級峰の一つ、ネパール北東のマナスル(8163メートル)で来春、清掃登山を計画している登山家の野口健さん(31)が27日、環境省で会見し、同時期に富士山でも清掃登山を実施することを明らかにした。マナスルの野口さんと、富士山の参加者をテレビ電話で結び、両国を代表する名峰の清掃活動を盛り上げる。

マナスルの清掃登山は野口さんを含め日本から5人が参加、ほかに現地や韓国から約25人が参加する。富士山の清掃登山は在日ネパール人を含め、約1000人が参加。清掃期間はマナスルが来年4月上旬~5月下旬の約2カ月間、富士山は同4月中旬以降に青木ケ原樹海で予定している。

マナスルは1956年に日本チームが初登頂するなど、日本にゆかりが深く、現地では「ジャパニーズ・マウンテン」とも言われている。野口さんは2000年から4年連続でエベレストの清掃に取り組み、計7・7トンのごみを回収したが、現地で「大量のごみが投棄されているジャパニーズ・マウンテンをどうするんだ」と問われ、今回の清掃登山を計画した。多くの登山家が残した酸素ボンベや食糧の食べ残しなどを回収する。

来年は日本とネパールの国交樹立50周年でもあり、野口さんは「両国の連携による清掃で、友好と環境問題への意識啓発を行いたい」と話している。

(毎日 5/28)

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2005/05/16

いまの社会の成熟度を測るもの

サラリーマンでありながら、年収100億だそうである。

いくら稼いだか(手に入れたか)は話題になっても、そのお金を何のために、どのように使ったかが話題にならないところが、いまの人間社会の成熟度を表しているように思う。SRとは程遠い。

高額納税者、1位はサラリーマン (読売 5/16)

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2005/05/08

教師でなくとも、人間かくありたし

夜回り先生: 有料ではできないと講演中止 岡山・倉敷

高校生らの非行問題に取り組み、夜の繁華街での生徒指導から「夜回り先生」として知られる横浜市の元夜間高校教諭、水谷修さん(49)が8日、岡山県倉敷市で予定していた講演を中止した。「入場料を取る」との連絡が主催者から伝わっていなかったのが理由で、水谷さんは事情説明に訪れた会場で「有料の講演はできません」と話し、約30分間、集まった約400人にサインや握手で応じた。

不登校問題に取り組む同市の民間団体などでつくる実行委員会が企画したイベントのメーン行事として、水谷さんは午後から講演予定だった。

実行委によると、同日午前1時ごろ、水谷さんから「入場料1500円が払えないので講演に行けないというメールが届いた。もともと有料の講演は引き受けないし、そういう子がいる以上、講演できない」と電話連絡があった。実行委は「会場使用料などもあり入場料は頂くが、スタッフも払い、収益は寄付などに使う。営利目的ではない」と説明したが、受け入れられなかったという。

実行委は開場時、前売り券を持った約400人に払い戻したが、水谷さんは翻意せず、会場では「残念」の声も上がったという。子どものステージ演奏など他の行事は予定通りあった。

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ブログ: 経営者のひとり言

このブログをはじめてからやがて3ヶ月になるが、いまだコンセプトが固まっているわけでなく、8割方を時事ニュースで目にとまったものの紹介で済ませている。今のところは来てくれた人に考える材料を提供することができればそれでいいのではないかと思っている。多少は自分の考えも織り込んで「味付け」をするという程度である。

ミツエーリンクスというIT企業の社長である高橋さんという方が「経営者のひとり言」というブログを開いておられるが、氏の経営者としての能力の高さのみならず、人格の高さ、懐の深さにいつも感銘を覚える。人間としての積み重ねてきたものが違うのだから、この方のようなブログを世に送り出すことは無理としても、何かしら世の中の役に立つ影響力を持ちうるものを発信できるようになりたいものだと思う。

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2005/04/18

O君への手紙

なぜだか君の笑った顔が頭に浮かんだので手紙を書こうと思う。

君と初めて顔を合わせたのは1992年だった。転勤してきた君に声をかけたときのこと、ずっと後になっても覚えていてくれたね。1993年に僕が埼玉県のM市にある支店に転勤が決まったとき、実家がM市にある君は車で市内を案内してくれた。希望とはぜんぜん違う人事への失望感と不安でいっぱいだった僕にはとてもうれしい心遣いだった。君がニューヨークに転勤が決まったときには順調にステップアップしていく君のことがうらやましかった。

9.11--あの日のニュースでWTCのビルが炎上しているのを見たとき、現実のものとは思えなかった。そして、2機目が突入する瞬間。米国でまさかそんなことが・・・。その後のニュースで多くの同僚たちが命からがら脱出したという知らせと同時に、行方不明者のリストの中に君の名前を見つけ、言葉を失った。どうか無事で、という願いも虚しく、死亡したという受け入れ難い現実を突きつけられた。

あの事件から1年が経って、お別れの会に参列したとき、残された小さなお子さんとむせび泣く奥さんの姿を見て、胸が締めつけられる思いがした。明るくてやさしくて家族思いの君がなぜあのような運命に見舞われなくてはならなかったのだろう。その後、残された奥さんが前向きに歩んでおられるということを聞いて、わずかばかり救われた気がした。

いま僕は家族とともにいて、会社員としての人生は成功とは程遠いけれど、それでも幸せなんだと思う。住宅ローンを抱え、10年前より3割以上も少なくなった給料で、生活は汲々としているけれど、住む場所があって、毎日ごはんが食べられて、何よりも子どもと一緒に生きることができる。自分にとって何が一番大切かが今ではわかる。家族とともに生きられるという幸せを大切にしていきたい。

O君。いつか街でばったり会って、また、あの笑顔を見せてくれるような気がしてならない。頭ではわかっていてもなぜかそう思ってしまうのだ。君はまだ僕の中で生き続けているみたいだ。

どうか、あなたの家族をあたたかく見守ってあげてください。

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2005/04/14

◆◆鵜の目鷹の目 タカコの眼(第13回)◆◆

「気になる初心者向け商品」

ペイオフ全面解禁や、連日メディアを賑わせたM&Aのニュースの影響もあってか、最近、私の周りで投資に関心を持つ人が急増しています。 しかし、一方でそんな投資初心者が注意すべき勧誘や広告が最近多く目に付き
ます。先日も、電話で金融商品の「ご案内」がありました。数十パーセントの高い利回りを強調するのですが、一体どのような商品なのか、その内容がさっぱり分かりません。「具体的に、何をどのように運用している商品なのですか」と聞いたところ、「私には分かりません。詳しい話をお知りになりたければ上司が直接お話させていただきますので」と話を進めようとします。「商品内容を知らずに勧誘しているのですか」と聞いたところ、「勧誘ではありません、ご案内です」と言います。
利回りが何十パーセントであろうと、「ご案内」している本人が、(本当か嘘か不明ですが)その投資対象や商品の仕組み、手数料を「分からない」と言う商品を購入する勇気は、とてもありません。
また、「預金のようなものです」と語って、デリバティブ商品を「ご案内」しようとした会社もありました。「預金とは全く性質が違うものですよね」と言うと、「だから『預金』とは言っていません」と屁理屈を言います。
気をつけなければならないのが、「初心者向け商品」です。内容を調べてみると、仕組みがとても複雑で、その商品の概要や仕組みを理解できる人はとても少ないだろうと思うものが多々あります。また、実質の手数料がさっぱり分からないものも・・・。疑問を感じ、証券業界のプロに意見を求めたところ「投資の上級者やプロは買わないから『初心者向け商品』と言えるかもね」と苦笑い。
こうした複雑な商品は、次々と新たなものが登場します。ある国の(数十年スパンの)長期的な経済成長期待を謳っていながら、その商品自体は半年程度で満期を迎えるデリバティブ商品も目に付きます(しかもコールとプットが設定されていたりします・・・)。
もちろん、こうした複雑な商品も内容や仕組みを理解した上で、投資もしくは投機を楽しめばよいのですが、商品の内容や仕組みを理解できないものは、どのような条件で利益や損失が大きくなるのか、よく理解していないと言うことになります。思わぬリスクが潜んでいることもあるので注意が必要です。分からないもの、理解できないものには投資をしないという基本を守ることが大切だと思います。
また、投資に興味を持つ人が急増している今だからこそ、商品開発や販売をする側も、投資家が一度で懲りて逃げ出してしまうことの無いよう、末永く投資家と付き合っていけるような真の努力が必要なのではないでしょうか。
渡辺タカコ

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2005/03/27

震災疎開パッケージ

福岡、佐賀県で震度6弱の地震があり、一人がなくなった。地震はいつどこで起きるか分からない。特に不安なのは首都圏の住民だろう。地震で家屋を消失した場合、避難するふるさとがない人も多いからだ。

その不安感に挑戦したのが、早稲田商店会。空き缶とペットボトルを回収し、ラッキーチケットの当たるエコ・ステーションで、全国の注目を集めた商店会だ。その早稲田商店会で、安井潤一郎会長たちが開発したのは、「震災疎開パッケージ」。年間5万1千円(小学生以下3万1千円)を支払うと、被災時に最高30万円の疎開費用が支給され、提携した受け入れ地域に疎開できるというものだ。そして1年間、震災がなければ、提携先から3万1千円分の特産品が送られてくる。だからかけすてにはならない。そして提携先から見れば、特産品の販路開拓にもなる。つまり、みんな得するシステムだ。

このシステムに、最初に長野県飯山市が名乗りを上げた。次いで愛知県春日井市の勝川駅前通商店街振興組合など、全国から参加が相次いだ。首都圏の住民には安心感を提供し、地方には特産品販路開拓を生む。こういう発想は行政マンや大学教授には難しいだろう。

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2005/03/26

「マック」育てて遺産491億円

日本マクドナルドの創業者で、昨年4月に78歳で亡くなった藤田田(でん)氏の課税対象となる遺産が約491億円だったことが25日、北沢税務署(東京都世田谷区)の公示でわかった。遺産総額は過去6番目で、妻(75)と長男(52)の2人が相続した。相続税額は122億円で納付済みという。 遺産は日本マクドナルドホールディングスの株が大半で、その他に預貯金、不動産など。たった2人で369億円を相続したことになる。

何百億円もの遺産を相続してどうするのだろう。自分で稼いだわけでもない遺産を相続することが社会にとってよいこととは思われない。相続税はいっそ税率を90%にしたらどうだろうか。それに加えて相続総額に3億円の上限を設ける。相続税での歳入増を貧困層の生活保護に使う公的扶助の財源にすれば、全国何百万の生活困窮者の自立支援・生活向上に役立つ。いっそ相続ということ自体を認めなくしてもいいのではないかとさえ思える。人は何も持たずに生まれてくる。死んでいくときも何も遺さずともいいではないかと思う。遺産を残すことよりも社会のためになることを考えるべきではないだろうか。

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2005/03/17

奨学基金に私財2億円

製造業を志望する学生らを支援しようと、世界初のクオーツ式腕時計の開発者でセイコーエプソン(本社・長野県諏訪市)名誉相談役の中村恒也さん(82)が、私財2億円を提供し、奨学基金を設立した。対象は、自宅のある長野県の中・南部と、生まれ故郷の山形県庄内地方の高校を卒業し、工学部系大学に進学する学生ら。高校・大学が推薦した学生を、中村さんの知人でつくる奨学基金の運営委員会が選考し、長野県では今年4月から毎年9人、山形県では来年4月から毎年5人ずつに月額5万円を給付する。
生活が楽でない家庭の子どもが大学に通うというのは経済的にたいへんなことである。奨学金は志の高い苦学生を勇気づけてくれるに違いない。私は大学生のときにデパートの伊勢丹さんから奨学金をいただいていた。月1万5000円だったが、とてもありがたかった。CSRの一環としての奨学金制度はもちろんのこと、財を成した富裕層の方にもぜひとも奨学金制度を設けて欲しいと思う。奨学金は未来の世代への投資である。

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2005/03/13

利殖よりも社会のためになる投資を

証券投資というものは、債券か株式か、リスクの大きさの違いこそあれ、本質的にはギャンブルである。安いときに買って高いときに売れば儲かるが、逆に高いときに買ってしまい安くなったときに売れば損が出る。証券投資については理論やテクニカルな手法についてはいろいろと出ているが、結論として「ハイリスク・ハイリターン⇔ローリスク・ローリターン」の図式は変わらない。着実に儲けようと思うのならば、相場の上がり下がりのタイミングを的確に予測しなければならず、人の思惑で動く相場を予測するのは素人にはどだい無理なことである。確かな情報というものはインサイダー取引にあたり、市場の公平性を損なうことであり、特別な立場にある者しか「確実に儲かる情報」は知り得ない。証券市場全体としては得をする人がいるのと同じだけ損をする人が出るようにできており、証券投資のプロ、多少の誤解を覚悟して言えば、ずる賢い人でなければ儲けることはできない。素人でも運良くたまたま儲かることはあるだろうが、確率的には市場価値全体が上昇している局面でない限り、素人は損をする確率の方が高い。

そういうことを踏まえたうえで、個人投資家の方にいいたいのは、利殖ではなく社会のためになる投資をしましょう、ということである。ここ1,2年でCSRやSRIという言葉がだいぶ知られるようになってきたが、日本におけるSRIの普及・浸透はまだまだであり、SRIファンドに対する投資残高の総額はアメリカに比べるとまだ微々たるものである。日本は世界で3番目に大きな経済圏である。国家予算と同じ規模の投資がSRIに向かっても多すぎるということはない。それだけのお金が社会・環境への配慮を促す資金として使われれば、社会全体が大きく様変わりすることは間違いない。社会の制度・インフラ・産業構造などがよりよいものになれば、結果として国民ひとりひとりが受益者となるのである。儲かる確率の少ない投資に汲々とするよりも、自分の投資が社会の役に立っていると考える方が気持ちよくいられるのではないだろうか。

利殖よりも、社会のためになる投資をしましょう。

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2005/03/11

間接金融: もし銀行がなかったら

間接金融とは「お金を借りたい人」と「お金を貸したい人」の間に、第三者が存在する取引のことである。間接金融の代表例が銀行取引である。
「企業」が資金が必要となった際に、銀行より融資を受けたとする。銀行が融資したお金は、銀行のお金ではなく、銀行が「預金者」から預かったお金である。
真のお金の出し手はその銀行に預金をした人々であり、「企業」は、銀行を仲介して間接的に「預金者」からお金を借りたことになる。しかし資金を出している「預金者」がだれであるかわからない。一方、「預金者」は、銀行にお金を預けて利子を得るが、預けたお金を銀行が誰に貸しているのかわからない。「預金者」は、銀行が貸し付けた企業が仮に倒産しても、銀行が破綻しない限り資金の安全性は確保される。
このように、「間接金融」では金融機関が(「預金者」に代わって)リスク(=損益が発生する可能性)を負担するため、「預金者」は自分自身で元金が割れるリスクを負担しなくても済む。
もし、銀行がなかったら、直接金融の場においてひとりひとりの資金の出し手がリスク・テイクをしなければならない。世の中には銀行不要論を唱える人もいるが、直接金融の市場の仕組みを漏れなく理解して自らリスクを取って投資行動ができる人がどれだけいるだろうか。世の中の流れは間接金融から直接金融に向かっていると言われるが、間接金融の意義も広く理解して欲しいと思う。

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2005/03/10

東京大空襲から60年

米軍の爆撃で一夜にして約10万人の命が奪われた1945(昭和20)年3月の東京大空襲から10日で60年になった。現在の墨田、江東、台東区など東京の下町一帯は焦土となり、人々は街をおおう猛火の中を逃げまどった。60年を経たこの日、惨劇を思い、平和を祈る法要や追悼式、集会が東京都内各地で行われる。
墨田区の都慰霊堂では、午前10時から都慰霊協会による空襲と関東大震災の犠牲者の春季慰霊大法要があった。会場には遺族多数が集まり、犠牲者を悼んだ。午後1時からは豊島区で都主催の「平和の日記念式典」が開かれた。60年の節目に参加者は例年の4倍、約2千人が参加した。江戸川区や台東区などでも追悼式などがある。
東京大空襲は、60年前の3月10日午前0時過ぎに始まった。サイパン島などから飛来した米軍のB29爆撃機約300機の大編隊が、隅田川両岸の浅草や本所、深川など木造家屋が密集した地域に、無差別に焼夷(しょうい)弾の雨を降らせた。約2時間半の空爆で投下した焼夷弾は約1700トン。折からの北西の風にあおられて燃え広がった。
真夜中の街を炎が渦を巻いて走り、「真昼のように明るくなった」といわれる。神奈川県からも赤い空が見えたという。猛火の中で人々は逃げまどい、女性や子どもたちが避難した学校で焼死したり、熱さを逃れようとしてプールや川で死亡したりした。
当時の警視庁の発表では、この日の死者は8万3793人、けが人4万918人、被災者100万8005人、被害家屋は26万8358棟とされた。行方不明者も多く、犠牲者は約10万人に上るという。

戦争というのは最悪の事態だが、東京直下大地震でも人々の生活に与える影響は甚大である。日本を安全に保つことは政府に負うところが大きいが、戦争も大地震も、破壊された生活基盤の中で立ち上がるのは住民一人一人の努力によるしかない。安全も安心もタダではない。生活を守るためにはできることから備えなければならない。

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資産運用の前に考えること

渡辺タカコさんのコラムから。
今から60年前の3月10日。アメリカ軍による東京大空襲で、東京下町を中心に約10万人が犠牲となりました。東京下町に暮らしていた私の父、祖父母、曾祖母、伯母も被災し、家、財産を焼失しました。 「広島、長崎だけじゃない。東京も地獄だった」と、父と祖母が語っていた東京大空襲、実態がいかに凄惨を極めたものであったか、そして 女性や子供、高齢者、病人といった非戦闘員である多くの人々が無差別に犠牲となった不条理・・・。火の海となった下町で私の家族が(負傷したものの)誰一人死なずに生き残ったのは、幸運というより、偶然と呼ぶべきものだったと思います。
戦時下の不条理を描いた作品で、ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』という映画があります。ナチス・ドイツのホロコーストによって多くのユダヤ人が命を奪われる中、奇跡的に生き抜いた実在のユダヤ人ピアニスト、シュピルマンの回想録が原作です。この映画の中で、シュピルマン一家が、植木鉢やバイオリンの中など、お金の隠し場所を話し合うシーンがあります。しかし、その後、シュピルマンの家族をはじめ、多くのユダヤ人は強制収容所に送られてしまいます。
私の家族も、空襲に備えて、庭や防空壕に資産を埋めたそうですが、東京大空襲の炎に包まれ、家と一緒にその殆どが燃えてしまったと、熱で溶け変形した硬貨を祖母が見せてくれたことがあります。金融資産は、自分や家族の生命があってこそ、平和の下にあるものだと痛感します。
60年後の現在、東京大空襲を知る私の家族は既に他界。戦争がどのように人命や資産を奪ったか、自分の眼と肌で知る人たちがどんどん少なくなっています。資産運用の知識・手法、金融商品について勉強する以前に、世界を知ること、歴史を知ること、そして選挙に行くことが大切だと思います。資産を守るためには平和が最も大切なのだとあらためて心に刻みたいと思います。

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2005/03/06

内部告発者の孤独な闘い

運送大手のトナミ運輸社員・串岡弘昭さんが運輸業界の不正を内部告発後、約30年にわたる昇格を見送られたとして会社を相手取って総額約5400万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟で、富山地裁は同社に約1356万円を支払うよう命じた。同社は富山地裁の判決を受け入れ、控訴しないことを決めた。一方、串岡さんは「謝罪を勝ち取るまで戦いたい」と話して控訴した。判決は、原告の内部告発は正当な行為であって法的保護に値するなどとし、被告に慰謝料や賃金格差分の損害などを支払うよう命じたが、原告が求めた謝罪については棄却した。
もうひとつの話として、愛媛県警の仙波敏郎巡査部長が、内部告発をした。愛媛県警の署長が仙波氏に偽造領収書を作るように圧力をかけていたが、仙波氏は頑なに拒みつづけた。すると署長は「偽造領収書を作らなければ組織の敵だ」と仙波氏をののしった。ということを、仙波氏は暴露した。仙波氏はその席上で、最後まで戦う決意をした。もし警察の仕事を辞める時があればそれは死ぬ時ですと発言した。どんな圧力にも屈することなく戦うという決意の現れだろう。この仙波氏の発言に対して、愛媛県警は自殺する可能性のあるものに拳銃の携帯は認めさせないとし、内部勤務の部署に異動させた。愛媛県警は見せしめ人事ではないとしているが、この仙波氏のポストはその日出来たばかりのポストである。
「長いものには巻かれろ」という諺があるが、組織の常識が社会の非常識ということは往々にしてある。道義的には明らかに間違っていること、例え犯罪行為であっても、組織の命令とあらば拒否することは難しい。組織というものはある程度、腐敗する性質を内在しており、自浄作用を期待するのは難しいというのが現実なのだろう。
そんな中で「お天道様に背を向けるようなことはやらない」と正しいことを貫こうとすることがいかに困難なことかを先の2つの事件は物語っている。自分の子どもに対しては何が正しくて、何が間違っていることなのかを教えることはできる。しかし、自分の生き様でそれを体現できる人はおそらく極めて少数派だろう。自分は子どもに向かって「お父さんは自分の心に恥じるような生き方はしていない」と胸を張っていえるだろうか。社会や組織の中では弱者である自分ではあるけれども、できる限りの努力はしていきたいものだと思う。

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2005/03/03

女子刑務所~ボリビアからの便り

2004/11/12のメールから。

女子刑務所受刑者たちのレポートが放映されていました。
ソニンが慰問コンサートに行ったシーンを観ていたら、
十数年前の大学時代のことを思い出しました。

私は大学時代は合唱団にいたのですが、毎年演奏旅行が
あって、3年生の時には東北学院大学との合同演奏会の
ために仙台に行きました。

演奏会の前日には宮城刑務所へ行って慰問コンサートで
歌いました。そのときにはあまり深いことまで考えもし
なかったのですが、ひとりひとりが重い人生を抱えてい
るということを考えると複雑な心境になります。

私は犯罪、特に凶悪犯罪者に対しては更正の機会を与え
る必要はない、というほどの厳罰主義者です。アメリカ
にあるスリーアウト制を導入してもいいとさえ思ってい
ますし、死刑も必要だと思っています。

しかしながら、犯罪というものは社会全体の病巣であり、
犯罪者個人だけに全ての責を求められない面もあると思
います。貧困層や社会的弱者が多い国や社会では犯罪が
多いというのは厳然たる事実なのです。

地球の裏側・南米ボリビアの友人とのやりとりを以下に
紹介します。(A:私、B:友人)

A 途上国の場合は根底に貧困といういかんともしがたい
A 問題があって、犯罪に走る人を100%攻めきれない社会
A 情勢なのだと思います。

B そうなんです。
B 貧困問題はこの国に根をはっており、人間を犯罪に向か
B わせている原因になっているんですよね。
B それは、とてもとても悲しいことです。

A とはいえ、人間の持っている性質・罪深さを感じずには
A いられません。人間の限りない欲望と愚かな智恵と力
A(暴力)が結びついたときに起こる悲劇に憤りを感じずに
A はいられません。人間という存在への嫌悪感さえ感じます。

B 確かに、人間は自分の利益・感情を優先しがちで、自らの
B 信念を追求するためには、結果的に悲劇を招いたとしても、
B 許されると考えているような節があると思います。
B でも、それが私達人間なんだなっと、最近は感じています。
B 私達はこのような現実をしっかりと認めなくてはいけない
B のだと思っています。

A 貧困を緩和して、より多くの人が安心して暮らせる社会作り
A を進めて行かなければ、これから先の未来は今以上に悲惨な
A ものになっていくと危惧しています。

B 私もそう思って、ここにやってきました。
B しかし、世界の流れもさることながら、途上国側にも、貧困
B を招く大きな原因があることも徐々に分かってきました。
B 大本の原因は、植民地化の歴史等、先進国に原因はあるのだ
B と思いますが、独立を果たした今でも、先進国に頼ろうと
B いう気持ちばかりが優先しており、自分達の力で問題解決を
B 図ろうとする気持ちが、政治家のみならず、住民の間にも
B 見受けられないのです。
B それがまた、私をとても悲しい気持ちにさせています。
B ですが、少しずつでも、彼らの意識が変わるよう、意識改革
B を図りたいと考えています。
B 残りの任期はあと1年強になりましたが、その間、彼らと
B 対話を進め、すこしでも彼らの心の中に何かが残るとよいな
B と思っています。

彼女は大学を卒業してすぐに青年海外協力隊に志願しボリビア
に行きました。やがて1年になります。彼女のような心と志を
持つ人が社会を国を変えていく希望の光だと思っています。

未来を作っていく次世代の希望の光たちを守り、勇気づけて
いくことが、やがて旧世代と呼ばれる大人たちの役割である
と考えています。

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2005/03/02

天国で君に逢えたら

ボードセーリングの元プロ選手で自身の肝臓がんとの闘病生活をつづった「天国で君に逢えたら」の著者・飯島夏樹さんが亡くなった。享年38歳。同い年である。テレビでドキュメント番組を見たが、人生は長さではないという言葉の通りの生き様を残した人だと思う。とはいえ、残された妻と子どもたちのことを思うと胸が詰まる。自分のやりたいことを思い通りにやれた人生に悔いはないのだろうが、残された者にとってはその存在の大きさが胸に響くことだろう。自分がもし今、ガンであるということがわかったら、死に逝くまでの時間をどのように過ごすだろう。家族に何を遺すことができるだろう。もう、余命がいくらもないとわかったときに飯島夏樹さんのように明るい笑顔を見せることができるだろうか。生きられる時間が有限だからこそ、自分が何をなすべきかを真剣に考え、後悔のない生き方をしなければと思う。

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2005/02/28

東京直下M7地震に備えるべし

政府の中央防災会議が公表した被害想定報告によると、東京直下でマグニチュード7級の大地震が起こった場合、経済被害は最大で112兆円。「東京湾北部地震」の場合、発生翌日の避難者は最大700万人。避難所で生活する人は同460万人。ライフラインがある程度復旧する一ヵ月後でも270万人が避難所で暮らし続けるという推計もある。断水の影響を受ける人は1100万人。建物の全壊数は85万棟。死者は13000人ということだが、もっと多くなるだろう。生活の基盤を破壊される人が数百万人も出る大災害で阪神大震災や新潟中越地震で行われたような災害復旧活動は果たして可能なのだろうか。おそらく混乱は長期化し、復旧は遅々として進まないのではないかと思われる。東京近郊に住む人は3日分といわず、2週間分くらいの備えをしていくことが必要ではないか。自分と家族の安全は自分が守るしかない。備えるべし。

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2005/02/23

過労で自殺・・・しなくてよかった

メガバンク行員の友人からの手紙。

勤務医が月間170時間の残業でうつ状態になり自殺したのを労災と認めたという記事があった。もう、4年以上前になるが、新規事業の立ち上げをやったときに、月間150時間くらいの残業が続いていた。滋養強壮剤を毎日飲みながら、無理に無理を重ねていた。過労・ストレス・パワハラで心身の体力は奪われていった。そんな生活が2ヶ月を過ぎた頃、上司に「このままでは体が持たないので10時には帰らせて欲しい」と直談判したが、あえなく却下され、3ヵ月半でとうとう限界に来た。うつ病である。もう何をする気力もないという状態になってギブアップした。3週間の休養の後、復職するも、その後、長らく闘病生活を続けることになる。そこまでして働いて報われたのかというと、昇給があるどころか、人事評価は最低ランクにされた。400時間以上のタダ働きは何だったのだろうと思う。労働基準法違反は言うまでもないが、CSRに照らし合わせても胸を張れる組織風土ではないのは確かである。

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2005/02/21

子どものしかり方

うちの3歳になる息子の話。
ママとお風呂に入っているときにママに向かって桶を投げたとのことでしかられていた。ママ曰く、やってはいけないということは理解できるのだが、やりたいという気持ちの方が勝ってしまうらしい。息子が素直に反省しないので、ママはなぜそれがやっていけないことなのかを繰り返し言い聞かせていた。パパが帰ってくるとパパの方へ逃げ込んできて、調子がいいとまたしかられていた。頑固なところは親譲りだろうから仕方ないし、調子がいいのも芸のうちだから、それはそれで良いんじゃないかと思いながら、パパは黙って静観していた。物事の良し悪しについての理解度を確認したところ、確かにわかってはいる様だ。相手の立場に立って考えるとか、相手の気持ちに共感するとかがまだ発達途上で、我の方が上回っているということなのだろう。4月からは幼稚園だから、同年代の子どもたちとの集団生活の中で身につけていってくれれば良いかなと思う。ママは毎日が格闘だからいつも冷静でというわけには行かないけれど、パパはちょっと距離を置いて、主観・客観織り交ぜておおらかに接して行きたいと思う。

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2005/02/20

もちつき&トン汁&お酒

地域の催しで「餅つき」があった。トン汁の炊き出しと振舞い酒もあった。普段ならあまり人のいない小さな公園がにぎわっていて、お年寄りから小さな子どもたちまでたくさんの人たちが来ていた。つきたてのお餅もトン汁もとてもおいしかった。お酒は温めたものを竹の器に入れて飲んだ。温かい人の交流の場ができていて、心和む時間を過ごすことができた。
なぜか私は地震の被災地での炊き出しを連想し、いざとなったら助け合えるコミュニティができているかどうかがとても大切なことに思えた。都会ほど近隣との人間関係が希薄になっているので、プチ田舎に居を構えてよかったと思う。幸いにもご近所とも付き合いがあり、人の輪も広がりつつある。
「わたし」のことだけを考えるのではなく、「わたしたち」や「近所のみんな」「地域のみんな」のことも考える心のありようが生きていく上で必要だと思う。高尚な倫理論からではなく、われわれが生きていくために必要なのである。

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